アバター画像

HP担当陽光福祉会 の紹介

ホームページの管理者です。

【一般】「子どもの発達・ことば個別相談会」を実施します!!

2023年8月13日 日曜日投稿

「ことばの遅れを指摘された」「吃音が出てきたみたい」「発音の間違いが気になる」など、お子さんのことばに係わる悩みや心配に、言語聴覚士がお子さんの様子を観察しながらお答えします。

実施日時
① 2023/9/12(火) 9:00~17:00 ※申込締切 9/5(月)
② 2024/3/12(火) 9:00~17:00 ※申込締切 3/5(月)
※相談時間は40分程度となります。
※相談にはお子さんと一緒にお越しください。
相談場所
発達支援Kiitos羽村 相談室
(羽村市五ノ神3-15-11 コスティール沖201)
相談員
中塚誠先生(言語聴覚士・発達支援Kiitos羽村アドバイザー)
言語聴覚士の養成校で常勤講師として働きながら、付属する「ことばの指導相談室」で11年間臨床を行う。現在はフリーとして保育園や幼稚園、特別支援学校を訪問し、支援者や保護者への支援や講演を行いながら自治体のことばの教室で臨床を行う。
料金
無料
社会福祉法人陽光福祉会の地域貢献事業として実施しているため、料金は一切かかりません。
申込方法
下記アドレスの申込みフォームからお申し込みください。
https://forms.gle/JzzydQXyojeJ7a2k6

【にじいろWS 2023-7月】ボディペイントを起点に、新たな〈アート〉体験を

2023年7月19日 水曜日投稿

ベースはボディペイント、でもそこからの着地点は新しい体験です

あまりにも連日のことで、すでに耳慣れたというのが「酷暑」という言葉。
でも、これって気象庁が正式に定義したものではないとか。
気象庁の予報用語では、一日の最高気温が35℃以上の日を「猛暑日」と定義しているのですが、一日の最高気温が40℃以上の日を「酷暑日」と呼んでいるのは日本気象協会という一般財団法人の方々らしいのです。
1875(明治8)年に気象における国内での統計を開始してから、40℃以上の暑さを観測したのが70回弱。
そのうちの60回近くがこの20年ほどの間だといいます。
この数字を見ると、近年になってから異常気象が急激に増えたことがわかります。
気象の上からも、子どもたちの未来をしっかり考えていくべき時なのかもしれませんね。

冒頭から話が逸れましたが、本格的な夏を迎えた7月のにじいろワークショップも、この「酷暑」の影響で本来は屋外で行う予定の内容でしたが、急遽室内のホールに場所を変更しました。
さて、今回のにじいろワークショップですが、実はおととし(2021年9月)に「ボディペイント」と題して行っています。
ですから、いまの年長クラスの子どもたちでさえ未体験のワークショップです。

しかし、そのままを踏襲するだけでは・・・と、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は考え、前回の経験を踏まえ、「ボディペイント」をベースにもうひとひねりして、前回とは異なる新しい体験を子どもたちにしてもらおうということに。それも、年中クラスと年長クラスそれぞれに方向性や着地点を変えて。
なので、今回は太陽の陽射しをガラス越しに受けながらですが、子どもたちにとっては前回のものとは違う、まったく新たな体験となったはずです。

子どもたちが描いたのは、海の世界から一転して独自の世界へ

準備は前回の「ボディペイント」同様に、彩色用の絵の具とその容器、そして絵筆を数十本用意します。
絵の具には素肌に付いた絵の具を洗い落とすのに効果のあるボディソープを混ぜ合わせますが、いまは一般的に流布されているこの手法、実は松澤先生がかなり前から実践していたとのことです。
ひょっとして先生が発案者?との質問に、「そうかも」と笑って答えてくれました。
そして、急遽屋内で行うことになったので、先生と保育士たちはいつものホールの白い壁と木の床一面を養生シートで覆いました。
壁には透明なシートを貼り、床には大きなブルーシートを敷いて、その上にさらに透明なシートを3か所に分けて貼りました。
もちろん子どもたちには、あらかじめ汚れてもよい服装で参加するように促しておきました。

まずは年中クラスの子どもたちです。
ホールに入るなり、床に敷き詰められた、まだ真新しいブルーシートを見て歓声が上がりました。
「プールみたい!」
「水族館?」
「海だよね」
と、その鮮やかなブルーに触発されての自由な発想です。
まだ先生はそのことに触れていないのに、子どもたちの想像力は一気に言葉になって表れます。
なかには、そのブルーシートの上に貼られた透明のシートの上に腹ばいになって、すいすいと泳ぐ真似をする子もいます。

そこで先生ははじめて、このブルーシートは「海です!」と宣言しました。
そして「海だから、波を描きますね」といって、3枚の透明なシートそれぞれに波を白の絵の具で描きました。
「では、そこに魚を泳がせます」と言って、今度は小さな魚の絵をそれぞれのシートに描きました。
ここまで描けば、子どもたちにとってもうここは広大な海です。
それからは説明など要りません。子どもたちは目の前に用意された絵の具を使って、それぞれに自分が思う海の中を描きはじめました。

色とりどりの小さな魚の群れ、クラゲかな、タコかな、大きなクジラの姿も。
ゆらゆらと見えるのは海藻でしょうか、海のなかに咲く花々かな。
陽射しを受けてキラキラと輝くいくつもの波のようす。

ところで、テーマであるはずの「ボディペイント」は?
と思って子どもたちを見ていたら、なんとあちらこちらで子どもたちは自らの手のひらから足の裏まで絵の具を塗りはじめ、その手や足は透明なシートの上にどんどん押し付けられていき、さっきまで描いていた海のきれいな景色が、想像をはるかに超えた独自の世界へと一転していました。
子どもたちのボルテージはますます上がり、両手に塗った絵の具をシートの上でぐちゃぐちゃにこね回したり、自分の両足や衣服にまで彩色することだけを楽しむ子も出てきました。

さっきまでの海の世界はどこに行ってしまのだろう、そんな疑問を抱き先生を見ると、先生はそんな子どもたちを当然かのように静観していました。
「私から何かを言うまでは自由にのびのびとやっていいんだって、子どもたちは暗黙のうちに了解しているんですよ」と、先生は何事もなかったよう平然と言います。
これまでこのワークショップに参加してきた子どもたちだからこそ、こういう展開になることをあらかじめ予測していたのでしょう。
先生は、続けてこう話しました。
「自発的に次々と思うままに筆を動かし、手を動かし、気づけばからだ全体でその制作活動に入っていく。
それがアートワークというものでしょ。
だから、子どもたちは誰かに指示されたり、ましてや強制されたわけではなく、無意識のうちにアートワークを行っているということなので、それこそ本能の赴くままにアートに向き合っているということです。
アートワークで一番重要なのは、自らの力で何を描きたいか、何を表現したいかを探ることで、それにはど
んなかたちであれ、自らあれこれと実践していく以外にはないのです。
それが例え、最初の作品を壊すことになっても」

そういう意味でいえば、この状態で終わりにしてもいま述べたことは十分に体得したことになります。
ところが先生はここでもうひとつ上の、〈アート作品〉へと昇華させるための新たな展開を提示しました。
それは、すでに透明シートの上でぐちゃぐちゃに塗り込められた色のかたまりの上に、指先を使って好きな絵を線画で描き、さらにその絵を黒画用紙に写し取るというものです。

先生はまず手本として、ひとかたまりの色の上に、ひとの笑顔をかたどった花の絵を描いて見せました。
そして、その絵に黒画用紙を被せて固定し、用紙の上を均等になでました。
そう、ちょうど版画を刷るときに用紙をなでるように、ゆっくり、しっかり、まんべんなく。
それから、そっとその黒画用紙をはがしていきます。
すると、そこには先に描いた線画と下地に塗られた色の模様が写っていました。
しかもそこに写し取られた線画と模様は、まったく予期せぬ絵柄となって表れたのです。

子どもたちは各自の目の前に色のかたまりをつくり、それぞれそが思い思いの絵や模様を描きはじめました。
今回の最終課題へのチャレンジはみごとに成功し、各自が黒画用紙に〈アート作品〉として自分を残すことができました。

実は、年中クラスの子どもたちが退室した後、もうひとつ子どもたちが作品を残していたことに先生は気づきました。
次のクラスの準備のためにぐちゃぐちゃに彩色された透明のシートをはがしたときに、先生がそのシートを見て「ここに残されたものもアートだね!」と言い、白い壁にそれを飾るように掲げてみせました。
まさに、そこにも透明なシートに描かれた〈アート作品〉が存在しました。
それを見た瞬間、アメリカの抽象表現主義の代表的な画家ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912年 – 1956年)を想起しました。
彼の特長的な画法であるアクション・ペイントです。

具体的なものを描くというより、描くという行為そのものを強調したというのでしょうか、計算されて彩色をするのではなく、絵の具を垂らしたり、飛び散らせたりと、今回子どもたちがやっていたような行為に近いものです。もちろん、これは感じるひとそれぞれの見方ですから、必ずしも誰もが彼を想起するとは限りませんが。
もっとも、子どもたち自身がこんな見方をする必要はありませんし、それに気づかなくてもいいのです。

クラフト用紙に収まった自分を、客観的に見つめる作品に

年長クラスの子どもたちには、床に敷かれたブルーシートの上に透明なシートではなく、ロール状のクラフト用紙を同じ長さに2枚カットして並べて貼り合わせました。
子どもたちはその周りに座って先生からの説明を待ちます。
先生は年中クラスの子どもたちとはまったく違うアプローチの仕方から入りました。

まず先生は絵の具のついた筆を持ちながらそのクラフト用紙の上をゆっくり歩きはじめて、急に歩いていた足を止めるとその自分の足のかたちを筆でなぞりました。
その足を外すと、そこにはくっきりと先生の足あとが残ります。
またもう一歩踏み出してその足を止め、同じように自分の足のかたちを筆でなぞりました。
またその足を外すと、先生の足あとは2つになりました。
それから今度は少しおおまたでもう一歩先に踏み出して、同じように筆でなぞりました。
クラフト用紙の上に先生の歩いた通りの足あとが残っていきます。

今度は目の前の子どもを呼んでクラフト用紙の上に立たせました。
そして先生は、同じようにこの上を歩くポーズをしてねと言って、歩き出すポーズの姿勢をとった状態でマネキンのように止まらせて、また絵の具のついた筆でその子の足のかたちをなぞりました。
何歩か同じように足のかたちをなぞり、ほかの子どもの足あともそこに重ねていきました。
ここまでやれば、もう子どもたちへの説明は不要です。
各自が絵の具のついた筆を1本ずつ持って、クラフト用紙の上を自由に歩きまわりながら自分の足あとを残していきました。
あっという間にクラフト用紙の上は子どもたちの足あとだらけになりました。
そのうち自らの足の裏に色を塗って押し当てたり、足あとだけでは飽きたらなくなったのか、両手のひらをなぞったり、まったく別の模様を描きはじめたり。

ここでも先生は年中クラスの子どもたち同様に、主だった指示を与えません。
それでも子どもたちはやはり、自らの両手、両足を彩色しはじめ、またしてもカラフルなボディペイントが展開されました。
アプローチの仕方こそ違えども、たどりつくところは同じようです。
また、年長クラスはクラフト用紙そのものが〈アート作品〉となるよう、あらかじめ意図してはじめているので、この時点でりっぱな作品として仕上がっています。

でも、先生は再び一段階アップさせる仕掛けを用意していました。
これだけでもこの作品のなかに子どもたちの存在は認められますが、ひとりひとりがより明確にその存在を残せるようにと考えたのです。
そこで全員をクラフト用紙の外に出るように言うと、ひとりの子どもをクラフト用紙の上に座らせました。
そして今度はその座ったままの態勢を黒色の絵の具でかたどりました。
子どもが立ち上がると、その子の座ったあとがくっきりと残っています。
これを見ならって、それぞれが好きな場所に座るなり、あおむけに寝るなり、横向きになるなり、全身がそのクラフト用紙の上に残るように指示して、先生や保育士がその子どもの姿を黒色の絵の具でかたどっていきました。

こうして参加した子どもたち全員が、なんらかのかたちでクラフト用紙のなかに収まりました。
「あれ、ぼくだよ」
「真ん中にあるのはわたし」
「はじで寝てるの、だーれ?」
クラフト用紙の外から眺めた子どもたちは、誰もが客観的に自分を見ています。
それって、とても不思議でおもしろい体験です。

この作品を見て、やはりアメリカの画家キース・へリング(Keith Haring、1958年-1990年)を想い出しました。今でも彼の作品はよく見かけるのでどこかでご覧になっている方も多いかと思いますが、特に彼の絵に登場する黒色の輪郭線だけで描かれたひと型は有名です。でも、それよりももっとリアルで、いきいきとした躍動感を感じました。

この作品は、最後に園のエントランスに設けられた図書スペース前にある大きな黒板に展示されました。

自分自身の痕跡を客観的に見つめ、そこから何かを感じてくれたらいい

「今回は年中・年長それぞれに応じた展開を想定しました。
年中クラスには〝海〟のイメージからどれだけ自分たちでそのイメージを広げていけるか、または壊していけるのか。
年長クラスは足の動き(軌跡)をたどっていくという地味なスタートから、自らの考えでいかに次の段階へと大きくステップアップしていけるのか。
ひとつのきかっけを与えれば、あとは年齢や経験相応によって自ずと発展させていくものだと思っています。
そして、それについておとな(指導者)は余計な口を出さずに静かに見守ってやらせること。
そうすることで、予期せぬ成果が得られるんじゃいか。
とくにアートという分野のことで言えば、これもひとつの指導方法として有りだと考えています」
そう話しはじめたのは松澤先生です。

確かに先生が何も言わないうちに、連鎖的ではありますが、子どもたちはいつの間にか自らのからだに絵の具を塗りはじめていました。
それについても先生は、歴史的な事象などを交えてこんなふうに語ってくれました。
「自らが、自らのからだに色を塗るって、もともと人間のなかに在るものかもしれません。
身体装飾という言葉がありますが、旧石器時代のネアンデルタール人から古代エジプトあたりまで遡ってみても、身体装飾を施していたという歴史が残されているようです。身体装飾は髪を結ったり、宝飾品を身に付けることもそうですが、顔やからだに彩色、つまり化粧などをするのもそうです。
それらは当時、美意識のためだけではなく、呪的や通過儀礼、または階級や権威、同族の証なども目的にしていたといいますが。自らのからだに彩色していたことは紛れもない事実です。いまでも原始社会では、ボディペインティングの原点を見ることがあります。
そういう意味からすると、子どもたちの方が私たちおとなよりよほど人間の本能に従って、純粋に、かつ人間らしく生きているのかもしれませんね」

また先生は最後に今回のワークショップを振り返り、
「アート作品をつくるって、ある意味そこに作家(製作者)の存在を残す行為ではないかと思います。
あきらかにその時間、その場所に、その作家は存在していたということを証明するようなものではないでしょうか。時間や時代を超越して、その作品が消滅しない限り、そこに刻まれた作家の存在は残っていきます。
今回最後に完成させた作品は、いずれも創作したその子がそこに投影されています。
子どもたち一人ひとりが自らの身体を使って、この時間に生きて動いた痕跡を確実に作品のなかに残したということです。
それを子どもたち自身の意思で客観的に見つめることができれば、必ずそこから何かを感じとってくれるはずです。
仮にそれが何十年か先であっても、夢中になってアートに没頭していた自分が確かにそこには居たんだという事実を想い出すなり、気づいてくれたら、きっとその瞬間に違う自分が見えてくると思います。
そう考えるとこのワークショップは、子どもたちの未来のいつの日か、この過ぎた過去を取り戻すための手段のひとつとして布石を打っているようなものかもしれませんね」
と遠い先に視線を向けながら話しを締めくくりました。

ドキュメンテーション

written by OSAMU TAKAYANAGI

【にじいろWS 2023-6月】紫陽花色のテキスタイル

2023年6月21日 水曜日投稿

長雨に気持ちも沈みがち、でも今回はそれを楽しんじゃいます

梅雨時は、一年のなかでも心身ともにもっとも沈みがちなとき。
季節の便りに「長雨の候」と書き出すように、雨の日ばかりが続きます。
ぽつぽつ、しとしと、ざーざーというおなじみの擬声語が飛び交うのも、この時期ならではのことですね。

そんな雨景色のなか、私たちをひときわ魅了する植物といえば、誰もが迷うことなく紫陽花(あじさい)と言うでしょう。
明治時代の有名な歌人・正岡子規(1867- 1902年)も、梅雨の雨と紫陽花を眺めてこんな句を詠みました。

〈紫陽花や 壁のくづれを しぶく雨〉

なにげない情景描写ですが、その光景がありありと浮かんできますし、自然への想いというものが100年以上前の歌人といまの私たちと何ら変わらぬことに驚きます。
この季節は家の庭や近所の公園、または社寺、学校の花壇など、いたるところで目にします。
当園にも入口付近から玄関口に続く通路に、花や葉に雨粒を湛えた鮮やかな紫陽花が並んでいます。
その美しい佇まいは、子どもたちの送迎を毎日やさしく見守っているかのようです。

そこで今回のにじいろワークショップは、梅雨と紫陽花をイメージしながら「紫陽花色のテキスタイル」をつくります。
テキスタイル(Textile)とは、日本語で言えば織物や布地のことですが、ここでいうのは糸によって織り込まれた繊維製品そのものではなく、そこに描く(染める)などしてデザイン的な装飾を施した、いわゆるアートとしてのテキスタイルです。

にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、
「さまざまな雨によって聴こえかたの違う雨音、その雨のさま、そしていまの季節に咲く紫陽花の色彩などを五感でとらえて、子どもたちなりにそうした自然の在りようを素直に一枚の布へ写し取ってくれたらいいかな」
と話していました。
そうですね、理屈はさておき、子どもたちには新しいアートワークを存分に楽しみ、しっかり体感してもらうことが一番ですから。

「さらし」に「染料」、準備も試行錯誤・・・初ものづくしのワークショップです

今回の創作内容ですが、実は当園で行うのは初めてです。
なので、まずは使用する画材について簡単に説明しておきましょう。

画布となるのは「さらし(晒)」です。
それに筆で絵や模様などを描いていくのですが、その彩色の材料は「染料」です。

さらしは、綿100%・長さ10m・幅34cmのものを年中・年長クラスそれぞれ2本ずつ、計4本使用します。
さらしという素材は漂白された純白の織物で、主な用途は、身近なことでは台所で調理をする際の水切りなどとして使用しますし、古くから妊婦の腹帯や乳児用の肌着、おむつなどにも用いられ、または着物を着付ける際の補正などにも重宝がられています。
衛生的で肌触りが柔らかく、通気性・吸湿性や耐久性に優れているというのがその理由のようです。
彩色の染料ですが、子どもたちが直接肌に触れても安心なものを十分に吟味してそろえました。
もっとも現在では人体への影響がなく、有害指定化学物質を含まない新しいエコ染料が一般的です。
これに染料を取り分けるボール(色数分)や筆洗器、筆と染料を入れる紙コップなどを用意しました。

そして実施場所ですが、創作内容や展開などを考慮すれば屋外で行うのが最適です。
しかし梅雨時なので、室内で行うのもやむなしとあれこれ思案していたのですが、なんと、日頃の行いの良さでしょうか、ワークショップ当日はまさに梅雨の晴れ間となり、屋外での実施となりました。
それも前回に続き、園舎と隣接する送迎用の駐車場です。
雨続きで思うように園庭での遊びができなかったせいでしょうか、屋外の広い駐車場というだけで、年中・年長両クラスの子どもたちのテンションは急上昇です。
もちろん梅雨の晴れ間は温度も高くなりますから、熱中症対策に帽子とタオル、各自の水筒は必需品です。

場所(駐車場)が決まれば、そこでの準備にも触れておきましょう。
あらかじめ先生と保育士たちで駐車場に2脚のテーブルを用意し、駐車場の端(奥)と端(手前)に1脚ずつ対極になるよう置きました。
その対極に置いたテーブルとテーブルとの間隔は、距離にしておよそ10m弱。
つまり、1本10mのさらしをまっすぐに伸ばしたとき、さらしの両端を対極に置いたそれぞれのテーブル上に粘着テープで固定することができるということです。
こうして2本のさらしを、線路のレールのように平行にまっすぐ伸ばして両端のテーブル上に固定しました。
まるで、対極にある岸と岸を結ぶために架けられた長い橋のようです。
これで最初の準備は完了したのですが、年中クラスの子どもたちで行った結果を踏まえ、年長クラスのこどもたちはこの設定を若干変更し、さらしをまっすぐに伸ばして、対極に置いたテーブルへの固定ではなく、そのまま地面にさらしを置いて、ピンと張った状態のまま両端を地面に直接粘着テープで貼り付けました。
年中クラスでは、子どもたちが一斉にさらしに描きはじめた途端、宙に浮いた状態を保つのが厳しくなって、大きなたるみやよじれが出てしまい、しっかり固定していたはずのさらしも幾度が地面に落ちてしまったのです。
見るとやるとは大違い、とよく言いますが、初めてづくしのワークショップは、画材選びも準備も、あれやこれやと試行錯誤の連続です。

初めての挑戦ながら、すてきな〈アート〉作品に仕上がりました

準備もすべて整い、いよいよワークショップ開始です。
最初は年中クラスですが、その子どもたちの目にいきなり飛び込んで来たのは、駐車場の真ん中にまぶしいくらいの純白な長いさらしが2本。それも端から端まで宙に浮きながらまっすぐにピンと張られ、ときおり風に揺れているなんとも奇妙な光景でした。
これに驚くな、という方が無理というもの。
子どもたちがその瞬間どのような反応をしたか、言うに及ばず、です。

いつものように先生はそんな子どもたちを集めて、今回のワークショップについて話しはじめました。
先生は頭にかぶっていた1本の長方形の繊維製の手ぬぐいをほどいて子どもたちに見せ
「これは布で出来ているのはわかるよね?みんなの周りにもこんな布でできたものがたくさんあるでしょ」
そして今度は宙に浮いた2本のさらしを指して
「みんなの目の前にある、あの長~い真っ白なものもそうです」
子どもたちはすばやくさらしに視線を移し、大きく頷きました。
それから再び先生は自分の手ぬぐいをひろげ
「でも、先生のは、ほら、きれいな模様が入っているでしょ、でもこっちの布は真っ白で何の模様もないよね」
先生はさらに続けて
「そこで、今日はみんなにこっちの真っ白な布に模様を描いてもらいます」
子どもたちはようやく今日の趣旨を理解したようです。

先生は次にピンと張られた1本のさらしの中央に子どもたちを集め、初めて使う染料についての説明と、どのように描くのか、そのお手本を見せました。
染料の入ったコップに絵具用の筆を浸してなじませると、その筆先をゆっくり真っ白なさらしの上に押し当てます。
筆使いはいつもと違い、すべらせるのではなく、じっくりと染料がにじむように押し当てます。
筆を押し当てた真っ白なさらしのその個所に、染料がじわじわとにじんでいくのがわかります。
子どもたちは先生の筆使いや、染料がさらしににじんでいくようすをしっかり頭に焼き付けました。

そこで先生は、やはりあらかじめ摘んでおいた園に咲く紫陽花の花や葉を子どもたちに見せてこう言いました。
「今回みんなに描いて欲しいテーマは、梅雨時の美しさやこの時期に咲く紫陽花のイメージです」
紫陽花を描くもよし、その花や葉のイメージを色やかたちで表現するもよし、それは子どもたち一人ひとりに委ねました。
先生の説明を見聞きすると、子どもたちは2本のさらしを挟み二手に分かれ、各自割り当てられたさらしの位置に立ちました。

さあ、これからいよいよ初めてのアートワークに挑戦です。
年中クラスの子どもたちは、やはりワークショップの経験も浅いので初めての道具になれること、絵を描くことというふたつのチャレンジがなかなか思うようにはいきません。
それでも、個人差はあるものの、どの子も少しずつ布に〝染める〟ことの面白さがわかってきたようです。
みるみる真っ白なさらしは子どもたちの描いた模様で鮮やかな色彩に染まっていきました。

 

さすがにワークショップ二年目となる年長クラスの子どもたちは、さらしに筆を押し当ててにじませる技術やその要領を得るのも早いです。
それに、年中クラスの子どもたちには描けなかった紫陽花もしっかり写し取る子がいましたし、なかには葉をさらしに押し当てて染料を上から垂らし、葉のかたちをさらしに写し取る子もいました。

子どもたちの成長は、その年齢と経験の重なりによるものだと思うのですが、アートワークにおける成長もまた、年齢と経験のひとつずつの確実な重なりがもたらすものだということを改めて感じました。

自ら自然のなかに入っていけるような、そんな感性を持ってもらいたい

年中・年長クラス共に制作した作品は、さらし全体を一度水で洗い流し、それを乾かして完成品となります。
今回は世の中にたった4本しか存在しない、素敵なオリジナル・テキスタイルが完成しました。
今後は園内を飾るタペストリーのような装飾品として、または園の各行事に園舎2階などから鮮やかな垂れ幕として掲げるのも良いかと思います。
誰よりも制作した子どもたちにとって、そうして事あるごとにたくさんのひとの目に触れるような使い方が一番うれしいのではないでしょうか。

先生はワークショップ終了後に、先に仕上がったテキスタイルを1本だけ園に咲く紫陽花と絡めて、早速アート表現として展示して見せました。
表現の仕方に決まりはない、常識を外すという魅せ方と言ったらいいでしょうか、即興でしたが思わずおもしろい空間アート体験をさせてもらいました。

では最後に、そんなユニークな発想を自ら楽しんで実行する松澤先生に話しを伺いしました。
「子どもたちにとっては染色という初めての体験でしたが、屋外でやれたことで、太陽の陽射しや空の色、ときおり吹き抜ける風、子どもたちの手元に落ちるひとの影など、つねに自然を感じながらアートができたこと、それに勝るものはないですから、それがほんとうに良かったです」
自然を意識しながらアートに関わることのすばらしさは先生がいつも話されていたことだったので、参加した子どもたちはもちろんですが、サポート役の保育士たちにとっても貴重な体験になったと思います。

さらに先生は、いま再びこの本に感銘を受けている、と言って一冊の本を見せてくれました。
それは、レイチェル・カーソン(Rachel Louise Carson、1907 – 1964年)著作の『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』です。
作者をご存知の方も多いと思いますが、アメリカの海洋生物学者であり作家です。
この著書は、1965年に彼女の没後出版されたもので、幼少時から自然の不思議さや素晴らしさに触れることの大切さを語り、自然環境の重要性を訴えています。
先生はその本をさらさらと繰りながら
「自然の中にある神秘的なものに触れることで、どうしてだろう?とか、なんてきれいなんだろう!とか、人工でつくられたものじゃないからこそ受ける刺激に感動することっていっぱいあるでしょ。だから子どもたちにはそういう感性を養っておとなになって欲しいんです。そのことできっと、人工的につくられたものではない、もっと自然に満ちた豊かな発想でものごとを考えられると思うんです」
そう話しました。
先生は子どもたちへの指導においても常々こう言っています。
「風の音や、空の色や、雲のかたち、それから季節ごとに放つ植物の匂いなど、自然のもつあらゆるきらめきなどを感じ取って、自ら自然のなかに入っていけるような感性を持ってもらいたい」

レイチェル・カーソンもその著書のなかで、こう書いています。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。(中略)もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』を授けてほしいとたのむでしょう」
また、彼女はおとなである私たちにこんな言葉を投げています。
「もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう、そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります」

私も本棚に眠ったままの彼女の著書を、もう一度じっくり読み返してみようかと思いました。

(※引用文は、佑学社『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』上遠恵子訳による)

ドキュメンテーション

紫陽花色のテキスタイル

季節は、ちょうど、梅雨。紫陽花の似合う季節です。保育園にも美しい紫陽花がたくさんです。今回は、梅雨の水のイメージと紫陽花をイメージしながら、テキスタイルをつくっていきます。
生活の中にある、服、カーテン、カバーなどなどすべての布製品はデザインされたものなのです。瑞々しい季節、サラシを紫陽花の色に染めて、オリジナルのタペストリーを完成させましょう。

written by OSAMU TAKAYANAGI

台湾幼児教育協会の方々があおぞら保育園の見学に来ました

2023年6月15日 木曜日投稿

台湾幼児教育協会の皆さんと協会の顧問である翁麗芳教授・鍾志聡教授が、あおぞら保育園の見学にいらっしゃいました。
台湾幼児教育協会では保育研修の一環として海外視察を行っており、今回は日本の保育・幼児教育を学ぶために来日されたそうです。
皆さんとても熱心で、細かいところまで見られ、質疑も予定時間を越えての実施となりました。

 

 

【にじいろWS 2023-5月】春の空気を感じて~らくがきあそび~

2023年5月25日 木曜日投稿

いつもと違う場所で、普段できないことを堂々とやろう!

コロナ禍により、世界中が一変した三年間。
当然のことながら子どもたちの生活も変わり、たくさんの我慢を強いられた日々でした。
それがこの5月、新型コロナ感染症が〝5類感染症〟に置き換わり、ようやく長いトンネルの出口が見えたようです。
もちろん、この先のことは誰にもわからないですが、それでも大きなものをひとつ超えた、そう信じて前に歩き出してもいいんじゃないかって、そんな思いではじまった5月の「にじいろワークショップ」です。

そこで今回は、この三年間に溜め込んだ子どもたちの重い気持ちを、青空の下で春の新鮮な空気を感じながらおもいっきり発散できたらと思い、当ワークショップの松澤先生が特別に企画したプログラムです。
テーマは、『日常の生活ではなかなか許されないことだけど、それを堂々とやらせてあげたい!』

それを実施する場所として選んだのは、なんと車専用の駐車場です。
と言ってもご心配なく・・・当園に隣接した送迎用駐車場ですから、関係車両以外は入出できません。

では、その駐車場でなにをするのか?ということですが、その広い敷地すべて(全面)をキャンバスにして、子どもたちに絵を描いてもらいます。
絵を描くというよりは〝らくがき〟あそびをする、という方がわかりやすいかもしれませんね。
ですから、絵を描くための画材(道具)も〝らくがき〟あそびにふさわしく、自然から採られた「ろう石(せき)」を主に使用します。

「ろう石」と聞いて、ある世代の方にはとても懐かしく思われることでしょう。
特に昭和世代の子どもなら一度は手にしたことのあるものですし、それを使ってアスファルトやコンクリートでできた道路や壁に〝らくがき〟あそびをしたものです。
しかしいまでは「ろう石」をご存知ない方が多いかと思いますので、簡単にその説明をしておきます。
「ろう石」とは、蝋のような光沢や感触を持った、半透明でやわらかい鉱物や岩石を指します。
今回使用するのは「石筆(せきひつ)」と称される、筆記用具のように細くきれいにカットされたもので、主に建設現場などにある鉄板やコンクリート面などに作業のための記号や文字を書き入れるときに使用するものです。
また同じく自然界の成分を含んだ「カラーチョーク」も用意したので、併せて使うことにしました。

ではさっそく、子どもたちと一緒に園の門を出て駐車場に向かいましょう。

対象の素材に触れることで、想像以上に深く大きな情報が得られる

気温はやや高めですが、天気はまずまず。
季節的にはちょうどいいころ合いかもしれませんが、そんなことをいちいち気にするのはおとなだけ。
子どもたちはいつもと違った環境、しかも青空の下というだけで解放感に満たされ、誰もが弾けるような笑顔ではしゃぎまわっていました。

まずは年中クラスの子どもたちですが、みんな揃ったところできちんと整列して先生へのごあいさつです。
子どもたちはここでなにがはじまるのか、そわそわ、わくわくと、なんだか落ち着かないようす。
先生はそんな子どもたちに大きな輪を描きながら広がるように促し、いつものウォーミングアップをはじめました。
心なしかそれさえもいつも以上にのびのびとしていて、とても楽し気に見えました。

子どもたちのからだも気持ちも十分にほぐれたところで、先生はその場に座り込むように言いました。
次に先生はゆっくりと地面に自分の両手のひらを押し当てて、
「みんなも地面に手をおいてごらん」と言いました。
子どもたちもそれに倣って地面に手のひらをつけました。
その瞬間、
「熱(ア)ちっ!」
「ほんとだ、あついぞ~」とみんなおどろきの声を上げました。
アスファルトでできた駐車場の地面は、朝からそそがれた太陽の陽射しで温度が高かったのです。
さらに先生は地面をゆっくりなでながら、
「この地面はたいらで、廊下みたいにつるつるしてるかな?」と聞きました。
すると子どもたちもいっせいに地面をなでてみて、
「たいらじゃないし、つるつるしてない!」
「ざらざらで、でこぼこだ」
と、見た目の予想に反していたのか、やはりおどろきの声で答えました。
子どもたちがいつも見ていた駐車場の地面は、きっと冷たくて、たいらでつるつるしているものと感じていたのでしょうね。そんな思い込みは、いっぺんに吹き飛びました。

先生はいつも、こう話しています。
「対象となる素材(今回は自然環境としての地面)を自分の手や足で直接触れること。
子どもたちには、つねにそうした皮膚感覚を大事に欲しい。
いまは触れたことがなくても映像や動画で簡単に見られるから、そのものが持つ感触さえもイメージや第三者の説明だけで決めつけてしまいがちです。
でも実際に触れてみると、温かい、冷たい、つるつる、でこぼこ、硬い、柔らかいなど、見た目とは違っているものです。
本来、そこから得られる情報は、頭で想像する以上に深くて大きいのです」

さて、いよいよお絵描き、いえ、〝らくがき〟あそびの開始です。
先生は1本の「ろう石」を取り出して、地面に絵を描きはじめました。
「石の棒なのに、こんな地面に白い線が描ける!?」
そんな心の声が聞こえてきそうなほど、子どもたちは不思議なものを見るようにじっと見つめていました。

突然ひとりの子どもが言いました。
「先生、こんなところで〝らくがき〟してもいいの?」と。
先生はすぐさま笑顔で答えます。
「そう、ほんとはここでこんなことしちゃダメだよね。でも今日は特別だから、いいんだよ!
この駐車場いっぱいに〝らくがき〟してね」

先生と保育士が子どもたち一人ひとりに「ろう石」を配りました。
最初はどの子も初めて手にするその画材(道具)に戸惑っているようでしたが、一度使い出すとあっという間に上手に使いこなします。
子どもたちのすばらしさは、おとなのように周囲を気にしたり遠慮や躊躇することがなく、自ら積極的に実践していくところです。これは、おとなも見習うべき点ですね。

もはや駐車場という名の、にじいろW.S.専用〈アート〉スペース

子どもたちにとって、これほど広くて大きなキャンバスに絵を描くのは初めてです。
それは年中・年長クラス共にそうですし、おとなにしてもこのような経験を持っているひとはそうそう居ないと思います。
それでも子どもたちは臆することなく、どんどん敷地内(地面)のあちらこちらに描いていきます。

年中クラスの子どもたちは、点や丸、四角から描きはじめ、そのうちそれがなにかの形になり、さらにそれらが集まって大きなかたまりの絵になりました。
また一本の道のような絵から、それが二本の線に変わり、長くまっすぐに伸び、途中でカーブし、しまいには本物の電車が走っていきそうな線路になりました。
なかには地面だけでは飽きたらないのか、隣接する園と駐車場を隔てた壁にも描き出す子がいました。

それから、おもしろいことに気づいた子どもたちが、
「先生、地面よりここの方がすべすべしていて描きやすいよ!」
と大声でいうので行ってみると、なんと駐車場の各レーン内に設置されている車止めブロックのことでした。
確かに触ってみると手触りがよく、たいらですべすべになっているため「ろう石」の描き具合が地面に比べてなめらかでした。
どのように発見したのかはわかりませんが、これこそ実際に触れた感触から得た確かな気づきです。

しばらくして、色のある「カラーチョーク」も配りました。
「ろう石」だけの白線で描いたものに色を加えることで、その〝らくがき〟がまた別のものに見えてきます。
もちろん「カラーチョーク」だけで描き出すのもOKです。

年中クラスの子どもたちは、ワークショップの終わりに自分の手のひらを自慢げに見せてくれました。
どの子の手のひらも「ろう石」の白い粉や、「カラーチョーク」の色彩に染まっています。
地面の絵を消そうとしてこすったのでしょうか、それとも手のひらを地面につけながら次々と描いていったからでしょうか、いずれにしても夢中で描いた証です。

年長クラスの子どもたちには、もう先生からの細かな説明は不要です。
はじめに先生が「ろう石」の使い方について見本を見せると、子どもたちはその場で試し描きをはじめました。
あっという間に描き方を会得したようで、先生はすぐさま好きな場所で、すきな絵を描くように指示しました。
それから先は慣れたものです。
この広くて大きなキャンバスを自由に駆け回り、自分の描きたい場所を見つけ、仲良しの友だちと、またはひとりで描きはじめました。
さすがに年長クラスの子どもたちは、最初から形のあるものを描きます。
なので「カラーチョーク」も併せて配り、画材の選択肢をひろげました。

ひとつの場所で描き終えると、またその次の場所へと自ら移動していきます。
やはり隣接する園と駐車場を隔てた壁や車止めブロックにも目をつけたようです。
さらには駐車スペースを示す白ラインの上までびっしり絵で埋まっていきました。
それも具象的な形や抽象的な模様だったり、地面との色合いを考慮した色彩のおもしろみであったりと、そこに表現された〝らくがき〟は、全体で見ても、個々で見てもすでに〝らくがき〟とは言い難いものがたくさんありました。

いく人かの子どもが年中クラスの子どもたちの描き残していった線路をみつけ、さらにその線路を駐車場のいたるところに描き足していきました。俯瞰で見れば、まるで現実に存在する路線図のようです。
ワークショップの終わりが近づいたとき、子どもたちがひとつの提案をしてきました。
それは、地面に描かれたそれらの線路に沿って、みんなで電車ごっこのように走りたい、というものでした。

そこで、せっかく何本も線路があるのだから、先生も交えていくつかのグループに分かれ、それぞれのグループが描いた線路の出発点上に並び、号令と共にいっせいにスタートしよう、ということになりました。
先生の「よーい、出発!」のかけ声と共に、各線路の出発点にいたグループは同時に走りはじめました。
直進するグループがあれば、くねくねと曲がってばかりいるグループもあるし、線路が敷地の端まで行っていきなり線路が消えていたのか、あわてて引き返すもグループもあり、交差する線路上ではいくつかのグループが衝突する始末で、行ったり来たりの大騒動となりました。
それでも、どのグループの子どもたちもとびきりの笑顔で、時間いっぱい走り続けていました。

目的のない〝らくがき〟あそびから、目的をもった〝らくがき〟あそびに

わずかな時間でしたが、年中・年長クラス共に子どもたちのこの三年間の重い気持ちがおもいっきり吹き飛んでくれたらいいな、と思います。

最後になりましたが、企画・指導する松澤先生に今回のワークショップを振り返っていただきました。

まずは地面に描くということですが―
「地面への〝らくがき〟は、日常のお絵描きと違って、手先や腕ばかりではなくからだ全体の動きを使って痕
跡を残すという行為です。
幼少期の絵画はからだの動きそのものですから、情緒や知性といったものを盛り込むような表現ではなく、敢えて身をもって体感したものをそのまま素直に写し出して描くということに意味があります。
それも画用紙のような小さく区切られたスペースではなく、今回のような子どもたちにとっては限りなく広く大きなキャンバスに向かうという、それだけでも貴重な経験になったはずです」

具体的な成果などはありますか―
「直接手のひらや指で感じ取ったままの情報にからだ全体で反応し、それをいかに表現していくかというのはなかなか普段の生活ではできませんからね。今回はそれが実践できたことです。
はじめは対象とする地面によってガタガタしたり、ざらざらしたりと描きにくさを感じたはずです。
そのうちに子どもたち自身が、車止めブロックならスムーズに描けるということを発見しました。
これって、簡単なことのようで意外にすごいことです。
また、年長クラスの子が最後に線路を走ろう、と言いだしたことにも感心しています。
私や保育士に言われたものではなく、おそらく自分たちで描いた痕跡を見て思い浮かんだのでしょう。この発想を導き出したことがとても大きな成果ですし、重要なことです」

さらに先生は話しを続けて、こう締めくくりました。
「最初は目的などない〝らくがき〟あそびではじまりましたが、最後は子どもたち一人ひとりが目的をしっかりもった〝らくがき〟あそびに変化、成長していったこと。これは目に見えない、形には表れないことですが、確実にひとつの得難い成果だったといえるでしょう。
子どものうちは、はじめから〈アート〉として何らかの目的を持たせて学ばせても意味がないんじゃないか、むしろそのことを進めていくうちに自分なりに少しずつ目的を見つけたり、気づいたりしていく方が自然に〈アート〉を捉えることができるんじゃないか、そんなふうに考えています」

ドキュメンテーション

春の空気を感じて~らくがきあそび~

春の柔らかい風や、暖かい空気の色はどんなイメージかなと考えます。
ふわふわ、さわさわ、ポカポカをどんな風な色で表現できるかな。
少し特別なチョークやパステルを使って指や手で擦りながら描く面白さに触れたいと思います。

written by OSAMU TAKAYANAGI

【羽村市】新型コロナウイルス感染症に罹患した子どもの再登園について

2023年5月10日 水曜日投稿

事務連絡
令和5年5月10日

市内保育施設
施設長 各位

羽村市子ども家庭部

新型コロナウイルス感染症に罹患した子どもの再登園について

 日頃より、羽村市の行政運営にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、新型コロナウイルス感染症に関する令和5年5月8日以降の対応につきましては、令和5年5月2日付の事務連絡でお願いさせていただいたとおり、国の「保育所における感染症対策ガイドライン」に沿った対応に取り組んでいただいていることと思います。
 その中で、新型コロナウイルス感染症に罹患した子どもの再登園にあたっては、「検査陰性証明書の提出を求める必要はない(ガイドライン31ページ参照)」旨をお伝えしておりますが、ガイドラインでは、「子どもの負担や医療機関の状況も考慮して、各保育所において、市区町村の支援の下、地域の医療機関等と協議して、その取扱いを決めることが大切である(ガイドライン82ページ参照)」と記載されております。
 そのため、市におきまして、羽村市医師会会長に確認を行ったところ、新型コロナウイルス感染症については、「これまでも再登園にあたって医師の意見書などの提出を行っていない状況も踏まえ、医師の意見書などの提出を求める必要はないと考える」との見解を示していただきました。
 このことを踏まえ、市内保育施設におかれましては、再登園にあたって医師の意見書の提出を求めることはせず、登園届の提出などにより対応いただくようお願いいたします。