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【消費者庁】水筒を持ち歩くときの転倒事故に注意!

2023年9月4日 月曜日投稿

消費者庁より「水筒を持ち歩くときの転倒事故に注意!」との内容で下記の注意喚起が出されました。
これまで保育園でも、子どもが水筒を持ち歩く際に下記注意ポイントと同様の対応を行っていましたが、今後もさらなる徹底を行っていきます。
保護者の皆様には、お子様の水筒をご用意いただく際に、金属製のものは避け、出来るだけ柔らかい素材のものをお選びいただくようお願いします。

残暑が厳しく、まだまだ水分補給が欠かせない時期が続いています。出掛ける際、子どもが水筒を持ち歩く機会も多いと思いますが、転倒した際に首や肩に掛けていた水筒がお腹に当たり、内臓を損傷する等といった思わぬ事故が発生しています。

消費者庁・国民生活センターには、水筒を持ち歩く子どもの転倒事故についての情報が、医療機関(※1)から寄せられています。

「水筒(1リットルの容器)を斜め掛けにして歩いていたところ坂道で転倒し、地面と水筒に挟まれる形で腹部を強打した。脾損傷のため集中治療室に入院し、保存加療で10日後に退院した。」(9歳)(※1)
「通学中に友人と追いかけっこをしていたところ転倒し、斜め掛けしていた水筒が腹部の右側に当たった。痛みと嘔吐があり救急搬送され、小腸破裂、汎発性腹膜炎のため緊急手術の上、集中治療室に入院した。」(10歳)(※1)
「登校中、走っていたところ硬い土の場所でつまずいて転倒した。その際、首から提げていた水筒が、地面とお腹の間に挟まり、腹部を強打した。内臓損傷により、膵臓50%程度及び脾臓を摘出した。」(7歳)(※2)

子どもは転倒しやすい、転倒した際に反射的に手をつくといった動作が取りにくい等の特徴があります。また、子どもは腹部臓器の占める割合が大きい、お腹周りの筋肉が弱い等の理由から、腹部に外から力が加わった場合に内臓損傷が起こりやすいとされています(※2)。
よって、水筒を首や肩から掛けていると、転倒した際、上記事例のように水筒が腹部に当たる可能性があるため危険です。
このほか、水筒のひもが首や腕に絡まったり、遊具等に引っかかったりすることにも注意が必要です。

子どもに水筒を持ち歩かせるときは、以下のポイントに注意しましょう。

◎水筒はなるべくリュックサック等に入れましょう
◎水筒を首や肩に掛けているときに走らないようにしましょう
◎遊具等で遊ぶ場合は、水筒を置いて遊ぶようにしましょう

熱中症予防に役立つ水分補給の道具に思わぬ危険が潜んでいます。転んだときの危険性について日頃から子どもに教えておくことが大切です。

※1: 消費者庁は(独)国民生活センターと共同で、平成22年12月より、医療機関(令和5年8月現在で32機関が参画)から事故情報の提供を受けています(医療機関ネットワーク事業)。
※2: (公社)日本小児科学会Injury Alert(傷害速報)「No.059 水筒による膵外傷」(PDF)

(過去の関連メール)

Vol.626 早めの熱中症予防! 症状が現れたら速やかな処置を!

【東京都】ベランダ等からの子供の転落事故防止について

2023年9月4日 月曜日投稿

ベランダ等からの子供の転落事故防止について

子供が保護者の目の届かないところでベランダに出て、エアコン室外機などを足掛かりに手すりを乗り越え、転落する事故が発生しています。例年、自宅の窓を開ける機会が増える春先や初秋に、事故が発生する傾向があります。
ご自宅で過ごす時間が多くなる連休中も、お子様たちが元気に安全に過ごせるよう、ベランダや窓のそばに子供の足場になるようなものが置かれていないか、子供の遊び場になっていないか、この機会に改めてご確認をお願いいたします。

【参考】
〇「子供のベランダからの転落事故に注意!」(平成30年3月・東京都生活文化局)
https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/anzen/kyougikai/h29/documents/29_leaflet_balcony.pdf

〇東京都公式動画チャンネル「東京動画」~STOP! 子供の転落事故~

子供がベランダの手すりの高さまで素早くよじのぼっていく実験映像や、転落事故を防ぐポイントを紹介しています。ぜひご覧ください!!

【15秒版】https://tokyodouga.jp/m0mt78bvtd8.html

【1分版】https://tokyodouga.jp/umgn1l1pwly.html

【にじいろWS 2023-8月】木を立てよう

2023年8月13日 日曜日投稿

自然から受ける刺激って、たくさんこころに響くものがあるんだなぁ

木が たくさんあるのは いいなあ。
木が そらを かくしているよ。
木は、川べりにも たにそこにもはえる。
おかのうえにも はえる。
木がたくさんはえると、森になる。
森はいつも いきいきしている。
『木はいいなあ』偕成社発行より

8月のテーマは「木を立てよう」です。
にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、このテーマの発端についてこんな話をしてくれました。
「最近、涼しさを感じはじめた夜になってから、気分転換も兼ねて散歩をしているんですよ。昼間は外出もそうそうできないですからね。
そんなときに、空の星や月を眺めたり、風を感じたり、道路沿いや公園に立つ木々に手を触れたりしてね、葉や枝のこすれ合う音が聞こえたり、その木々のまわりには小さな生きものも居たりするでしょ。
そうしていると、頭のなかにイメージがどんどん広がっていく・・・ああ、自然から受ける刺激って、こんなにもたくさんこころに響くものがあるんだなぁと、つくづく思うんです」
そんな日々の体験に触発されてか、今回は子どもたちと一緒に、ホールいっぱいに「木を立てよう」と考えたそうです。

この話を聞いたとき、一冊の古い絵本を想い出しました。
ジャニス・メイ・ユードリイさん・作、マーク・シーモントさん・絵、西園寺祥子さん・訳の絵本『木はいいなあ(原題:A TREE IS NICE)』です。

冒頭に掲げた数行の文章が、はじまりのページから抜粋したものです。
この本は、まさに先生が話してくれたような「木」のことを簡単な短い言葉と、素敵な木々のある情景のイラストで描かれています。
作者のJ.M. ユードリイさんは、シカゴ市の保育園に勤めた経験があり、そのときに絵本の楽しさ、大切さを知り、作品を書くようになったといいます。
偕成社で初版刊行されたのは1976(昭和51)年ですが、原書が刊行されたのは1956(昭和31)年ですから、いまから65年以上も前の絵本です。
幼児向けの絵本ですが、とても大切なことがわかりやすい言葉で綴られていて、おとなが読んでもちょっと考えたり、頷いたり、幼かったころの風景がよみがえってきたりして、やさしい気持ちにさせてくれます。
おそらくみなさんも、「木」についてのたくさんの物語や想い出をお持ちのことと思いますが、はたして今回、子どもたちの手によってどのような「木」がホールいっぱいに立ち並ぶのでしょうか。

いつものホールが、ここでしかない〈あおぞらの森〉に変わる

まずはじまりの準備ですが、今回はまったくゼロからのスタートではなく、子どもたちにある程度いつもと違う世界(空間)のイメージを与えようと先生は考えました。
そこで、あらかじめ四つ切サイズ(約390×540mm)の茶系画用紙を用いて、長い部分のサイズをその高さとし、短いサイズの部分を丸めて貼り合わせ、1本の筒状のものを子どもたちの人数分つくり、それをホールの床面に1本1本ランダムに立たせて置きました。
それだけで、なんだかどこか別の世界に迷い込んだような雰囲気です。
子どもたちがこのホールに入った瞬間、この景色にどんなイメージを持つのでしょうか。

最初は年中クラスの子どもたちです。
案の定、ホールのなかの見なれない景色に、誰もが一瞬息を飲むのがわかりました。
それでも、すぐさまそれぞれに声を発しました。
もちろん、ひとりひとり感じ方も見え方も違いますから、戦々恐々とする子がいれば、不思議そうに凝視する子や「なんだなんだ」と興味津々で騒ぐ子もいます。
なかにはいきなり「木?」と言い当てる子もいたりして、それぞれの反応は千差万別。
でも、あきらかに日常とは違う空間だということを感じるとることが大事ですから、答えなんてどうでもよいのです。

先生は、茶色の筒状のものが立ち並ぶ光景を一望できるホールの端に子どもたちを集めました。
そして、それがなにを意味するかの説明の前に、子どもたちにその筒状のものの間をかけ抜けて向こう側に行くよううながしました。
子どもたち誰もがランダムに置かれた茶色の筒状のものに当たらぬよう、慎重にかつ夢中で向こう側に走り出しました。
上手に走り抜けた子も、途中で腕や足がそのものに触れて倒してしまい、慌てて立て直す子もいますが、誰もが本気でその行為を楽しんでいました。
そんなことを数回繰り返すうちに、子どもたちはその筒状のものに対して、最初に受けた特別な印象が遠のいてしまったようです。
第一印象は空間のなかに浮かび上がる全体像としてその素材をとらえ、次に身近な素材として対峙していければいいのです。
実際には手元でつくるものですが、最終的に全体像となったときにどのように見えるのかをイメージできることも大事なことですから。

先生は子どもたちを集めると、その茶色の筒状のものを1、2本手に取り、腕を通したり、頭に乗せたりして、おどけながら子どもたちの意識をひとつの素材としてとらえるように見せていきました。
さあ、ここからが本番です。
先生は子どもたちに今回の趣旨をわかりやすく、ていねいに説明しながら、基本的なつくりかたを教えていきます。
茶色の筒状のものの先端に2か所ハサミで切り込みを入れて、その切り込んだ部分を外に向かって折り、枝のようなものをつくりました。
その枝のようなものに、葉っぱのかたちに切り出した緑の色紙を貼り付けました。
すると、1本の、どれも同じだった茶色の筒状のものが、枝と葉っぱのついた本物の木のように見えてきました。
そうしていくつかの工作見本を見せると、子どもたちはもうそれ以上の説明は不要!といわんばかりに、すぐに制作モードに突入しました。

床面に立ち並んだ茶色の筒状のものを子どもたちは1本ずつ手に取ると、先生が見本を示したようにハサミで切り込みを入れて枝にし、そこに用意した緑色の葉っぱを貼り付けていきました。
もちろん、このワークショップで鍛えられた子どもたちですから、そのうちさまざまな色紙を選んで、おもいおもいのかたちに切り抜き、枝の部分や胴体の部分にまでそれを貼り付けました。
また、その色紙に好きな絵を描いて貼り付けたり、胴体そのものにも絵を描きだしていきました。
こうした独創性はどこから湧いて出てくるのでしょうか。
こんな子どもたちを見ていると、おとなの発想力の乏しさに哀しくなるときがあります。

当たり前のことですが、自然にはえている木が1本と同じ木がないように、子どもたちのつくった木も1本と同じ木はありません。
20人いれば、20本の木ができ上がります。
それを最後に一か所に集めてぜんぶ並べてみました。
かわいらしい木、たくましい木、ちょっとへんてこな木、どことなくおもしろい木。
色々な木が集まって、気づけばどこにもない、ここだけの〈あおぞらの森〉になりました。

想像してみよう、きみの木は老いた木?若い木?それとも・・・

年長クラスがはじまる前に、年中クラスのつくった木はいったん片づけました。
年中クラスの子どもたちと同じように、茶色の筒状のものだけをホールの床面に1本1本ランダムに立たせて置き、いつもと違う世界(空間)のイメージを与えるためです。

やはり子どもたちの反応は千差万別。
でも、年長クラスの子どもたちはもっと積極的にそのものとの距離を縮めようとするかのように、指示をする前から指先で触れたり、持ち上げようとする子もいました。
そこで先生は、年中クラス同様に茶色の筒状のものが立ち並ぶ光景を一望できるホールの端に子どもたちを集め、同じくそのものが立ち並ぶ間を縫って向こう側に行くよううながしました。
器用に1本1本の間をすばやくすり抜ける子もいれば、なかにはそのものにわざと接触して倒していく子もいます。
どちらにしても、そのものとの関係性を意識しているからこそのことでしょう。
年長クラスの子どもたちは一年間の経験を経ているので、それがただそこに置かれているだけのものではないことに気づいています。

先生は、やはり子どもたちを集めて今回の趣旨を説明しました。
それから年中クラスと同様に茶色の筒状のものの先端に2か所ハサミで切り込みを入れ、その切り込んだ部分を外に向かって折り、枝のようなものをつくりました。
その際、年長クラスの力量を考慮して、ただまっすぐに折るだけではなく蛇腹のように段々をつけたり、変則的に折り曲げたりと、ひと工夫手を加えることでもっと動きのある枝になることを教えました。
その枝にも葉っぱだけではなく、自由な発想で好きな装飾を施すようにいいました。
そうそう、胴の部分にも切り込みを入れて、小さな窓をつくる方法も。

また先生は、年長クラスのこどもたちに、
「木にもいろいろあると思うよ、おじいさんやおばあさんのような年寄りの木・・・」
と新たなイメージのヒントを話し出すと、いきなりひとりの子が
「じゃ、若い木をつくろう!」と声をはりあげました。
先生は笑いながら
「いいね、ほかにもおかあさんの木、あかちゃんの木、おこりんぼうの木や泣き虫の木とか」
とさらにイメージを付け加えて、まるでいくつかの木の物語を話すように説明をつづけました。

技術的な方法などを細かく教えたせいか、さすがに年長クラスの子どもたちの木は、かなり凝ったものに仕上がっていきました。
切り込みを入れて折りこむ枝も、ほんとうにさまざまなかたちになり、風や振動に揺れていました。
その枝に付けた葉っぱも色とりどりで、なかには蕾や花まで付けています。
カブトムシでしょうか、クワガタでしょうか、色々な昆虫たちがたくさん木に住みついています。
それも表面ばかりか、木の内側(筒状のなか)にまでそのすがたが見えます。
胴体に入れた切り込みの小窓から、花や鳥が顔を出しています。
驚いたのは、木の胴体から地表に向かって川が流れ出していました。
そうですよね、木も川も大地もみんなひとつの自然のなかで生きているのですから。
あれ?ポケモンまでいますね!

最後に、年長クラスの子どもたちの作品も一か所に集めて、もうひとつの〈あおぞらの森〉をつくりました。

 

そして今回もすべてのワークショップが終わった後、年中・年長クラスの子どもたちの木(作品)をぜんぶまとめて、園のエントランスに設けられた図書スペースのひな壇に展示しました。
後日、担当の保育士から「その日のお迎えの時間に、お家のひとに一生懸命自分の作った作品を紹介していたんですよ」と聞きました。
そうですよね、子どもって、自分の家族に一番自慢したいし、一番ほめてもらいたいですものね。
にじいろワークショップって、終わったあとも、子どもたちにとってはいつまでもつづいているのだということを知りました。

木を1本つくることは、そこにひとつの木の物語を表現すること

再び冒頭の絵本『木はいいなあ』(偕成社発行)に戻りますが、終わりはこんな言葉で締めくくられています。

木をうえると いいよ。
(中略)
なえぎは まいとしすこしずつ おおきくなっていく。
そしたら、みんなにいうんだ。
「この木、ぼくがうえたんだよ。」って。
そうすれば みんなも、
いえにかえって
じぶんの木を うえるよ。

当園の子どもたちも帰り際に、「ぼくがうえた(つくった)んだよ」と言ったことでしょう。
そして、大きくなったらほんとうに自分の木を植えてくれるかもしれません、未来の地球のために。

今回のにじいろワークショップのテーマについて、あらためて松澤先生に伺いました。
「イタリアの美術家で、ブルーノ・ムナーリ(1907-1998年)というデザイナーや絵本作家としても活躍した方がいらして、その著書に『木をかこう』という絵本があります。
ただ単に木の描き方を指導する本ではないので、解釈の仕方も色々あって、子どももそうですがおとなにとっても深く考えさせられる本なんですね。

これをベースにワークショップができたらおもしろいかな、と考えてはいるのですが、実際にはかなり難しいので、それは私自身の宿題でもあります。
そんなことや、日常で体感する自然のことなどを漠然と考えていたら、平面ではなく立体的な木をつくろう、それもいつものホールを子どもたちのつくった木で埋めつくしたら、きっと新しい景色が目の前に広がるんじゃないか、ということで今回のテーマに至りました」
先生の発想は、いつもワンステップ、ツーステップと跳躍していくので、いつもわくわくさせてくれます。

さらに先生は話しをつづけて、
「具体的な指導ということでいえば、年中クラスの子どもたちは、なによりも今は技術的な成長を優先しているので、造形のおもしろさを感じながら折る、切る、貼るといった基本的な動作を確実に習得してもらいたいと思っています、それがまた来年につながっていくので。
年長クラスの子どもたちはそうした基本的な動作を習得してきたものとして、つぎに目指して欲しいのは作品がもつ物語性というものを意識した制作づくりということです。
言葉で示すと難しく聞こえますが、それはなにも難しい要求ではありません。
一過性のあそび感覚で楽しむことも大事ですが、せっかくワークショップという特別な時間を設けて参加するのですから、作品の背景に自分だけのもので良いので、なにかつくる意味を持ってもらえたらいいかな、ということです。
でもそういう意味でいえば、今回は誰もが木の物語を十分に意識してつくり上げたんじゃないかな。
1本、1本がほんとうに個性的で、オリジナル性に富んでいたし、どの子も自分のなかから感じたり、想像したりしたものをしっかりとかたちにしていましたからね。
だから自分だけの1本の木に愛おしさを持ち、自分だけの木の物語をそこに表現できたように思います」

 

余談ですが、今回のワークショップに参加して、〈芸術は、自然との対話である〉という言葉を思い出しました・・・誰の言葉だったかは忘れましたが(失礼)。

ドキュメンテーション

木を立てよう

ブルーノ・ムナーリの著書に『木をかこう』という本があります。
いつかこのワークをしたいと思っているのですが、ワークの構成が決められないままでいます。
そこで今回は、ホールに木を立ててはどうかと思いました。
一人一人の木がホールに全部で50本ほど立てることができたら、そこにはまた新しい景色が生まれそうです。

紙を立てる、切る、折る、そんな基本的な紙との向き合い方をしながら、ホールを夏の林のように感じられたら面白いなと思います。
木から生まれる、夏の林の物語を制作できたらと思います。

written by OSAMU TAKAYANAGI

【一般】「子どもの発達・ことば個別相談会」を実施します!!

2023年8月13日 日曜日投稿

「ことばの遅れを指摘された」「吃音が出てきたみたい」「発音の間違いが気になる」など、お子さんのことばに係わる悩みや心配に、言語聴覚士がお子さんの様子を観察しながらお答えします。

実施日時
① 2023/9/12(火) 9:00~17:00 ※申込締切 9/5(月)
② 2024/3/12(火) 9:00~17:00 ※申込締切 3/5(月)
※相談時間は40分程度となります。
※相談にはお子さんと一緒にお越しください。
相談場所
発達支援Kiitos羽村 相談室
(羽村市五ノ神3-15-11 コスティール沖201)
相談員
中塚誠先生(言語聴覚士・発達支援Kiitos羽村アドバイザー)
言語聴覚士の養成校で常勤講師として働きながら、付属する「ことばの指導相談室」で11年間臨床を行う。現在はフリーとして保育園や幼稚園、特別支援学校を訪問し、支援者や保護者への支援や講演を行いながら自治体のことばの教室で臨床を行う。
料金
無料
社会福祉法人陽光福祉会の地域貢献事業として実施しているため、料金は一切かかりません。
申込方法
下記アドレスの申込みフォームからお申し込みください。
https://forms.gle/JzzydQXyojeJ7a2k6

【にじいろWS 2023-7月】ボディペイントを起点に、新たな〈アート〉体験を

2023年7月19日 水曜日投稿

ベースはボディペイント、でもそこからの着地点は新しい体験です

あまりにも連日のことで、すでに耳慣れたというのが「酷暑」という言葉。
でも、これって気象庁が正式に定義したものではないとか。
気象庁の予報用語では、一日の最高気温が35℃以上の日を「猛暑日」と定義しているのですが、一日の最高気温が40℃以上の日を「酷暑日」と呼んでいるのは日本気象協会という一般財団法人の方々らしいのです。
1875(明治8)年に気象における国内での統計を開始してから、40℃以上の暑さを観測したのが70回弱。
そのうちの60回近くがこの20年ほどの間だといいます。
この数字を見ると、近年になってから異常気象が急激に増えたことがわかります。
気象の上からも、子どもたちの未来をしっかり考えていくべき時なのかもしれませんね。

冒頭から話が逸れましたが、本格的な夏を迎えた7月のにじいろワークショップも、この「酷暑」の影響で本来は屋外で行う予定の内容でしたが、急遽室内のホールに場所を変更しました。
さて、今回のにじいろワークショップですが、実はおととし(2021年9月)に「ボディペイント」と題して行っています。
ですから、いまの年長クラスの子どもたちでさえ未体験のワークショップです。

しかし、そのままを踏襲するだけでは・・・と、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は考え、前回の経験を踏まえ、「ボディペイント」をベースにもうひとひねりして、前回とは異なる新しい体験を子どもたちにしてもらおうということに。それも、年中クラスと年長クラスそれぞれに方向性や着地点を変えて。
なので、今回は太陽の陽射しをガラス越しに受けながらですが、子どもたちにとっては前回のものとは違う、まったく新たな体験となったはずです。

子どもたちが描いたのは、海の世界から一転して独自の世界へ

準備は前回の「ボディペイント」同様に、彩色用の絵の具とその容器、そして絵筆を数十本用意します。
絵の具には素肌に付いた絵の具を洗い落とすのに効果のあるボディソープを混ぜ合わせますが、いまは一般的に流布されているこの手法、実は松澤先生がかなり前から実践していたとのことです。
ひょっとして先生が発案者?との質問に、「そうかも」と笑って答えてくれました。
そして、急遽屋内で行うことになったので、先生と保育士たちはいつものホールの白い壁と木の床一面を養生シートで覆いました。
壁には透明なシートを貼り、床には大きなブルーシートを敷いて、その上にさらに透明なシートを3か所に分けて貼りました。
もちろん子どもたちには、あらかじめ汚れてもよい服装で参加するように促しておきました。

まずは年中クラスの子どもたちです。
ホールに入るなり、床に敷き詰められた、まだ真新しいブルーシートを見て歓声が上がりました。
「プールみたい!」
「水族館?」
「海だよね」
と、その鮮やかなブルーに触発されての自由な発想です。
まだ先生はそのことに触れていないのに、子どもたちの想像力は一気に言葉になって表れます。
なかには、そのブルーシートの上に貼られた透明のシートの上に腹ばいになって、すいすいと泳ぐ真似をする子もいます。

そこで先生ははじめて、このブルーシートは「海です!」と宣言しました。
そして「海だから、波を描きますね」といって、3枚の透明なシートそれぞれに波を白の絵の具で描きました。
「では、そこに魚を泳がせます」と言って、今度は小さな魚の絵をそれぞれのシートに描きました。
ここまで描けば、子どもたちにとってもうここは広大な海です。
それからは説明など要りません。子どもたちは目の前に用意された絵の具を使って、それぞれに自分が思う海の中を描きはじめました。

色とりどりの小さな魚の群れ、クラゲかな、タコかな、大きなクジラの姿も。
ゆらゆらと見えるのは海藻でしょうか、海のなかに咲く花々かな。
陽射しを受けてキラキラと輝くいくつもの波のようす。

ところで、テーマであるはずの「ボディペイント」は?
と思って子どもたちを見ていたら、なんとあちらこちらで子どもたちは自らの手のひらから足の裏まで絵の具を塗りはじめ、その手や足は透明なシートの上にどんどん押し付けられていき、さっきまで描いていた海のきれいな景色が、想像をはるかに超えた独自の世界へと一転していました。
子どもたちのボルテージはますます上がり、両手に塗った絵の具をシートの上でぐちゃぐちゃにこね回したり、自分の両足や衣服にまで彩色することだけを楽しむ子も出てきました。

さっきまでの海の世界はどこに行ってしまのだろう、そんな疑問を抱き先生を見ると、先生はそんな子どもたちを当然かのように静観していました。
「私から何かを言うまでは自由にのびのびとやっていいんだって、子どもたちは暗黙のうちに了解しているんですよ」と、先生は何事もなかったよう平然と言います。
これまでこのワークショップに参加してきた子どもたちだからこそ、こういう展開になることをあらかじめ予測していたのでしょう。
先生は、続けてこう話しました。
「自発的に次々と思うままに筆を動かし、手を動かし、気づけばからだ全体でその制作活動に入っていく。
それがアートワークというものでしょ。
だから、子どもたちは誰かに指示されたり、ましてや強制されたわけではなく、無意識のうちにアートワークを行っているということなので、それこそ本能の赴くままにアートに向き合っているということです。
アートワークで一番重要なのは、自らの力で何を描きたいか、何を表現したいかを探ることで、それにはど
んなかたちであれ、自らあれこれと実践していく以外にはないのです。
それが例え、最初の作品を壊すことになっても」

そういう意味でいえば、この状態で終わりにしてもいま述べたことは十分に体得したことになります。
ところが先生はここでもうひとつ上の、〈アート作品〉へと昇華させるための新たな展開を提示しました。
それは、すでに透明シートの上でぐちゃぐちゃに塗り込められた色のかたまりの上に、指先を使って好きな絵を線画で描き、さらにその絵を黒画用紙に写し取るというものです。

先生はまず手本として、ひとかたまりの色の上に、ひとの笑顔をかたどった花の絵を描いて見せました。
そして、その絵に黒画用紙を被せて固定し、用紙の上を均等になでました。
そう、ちょうど版画を刷るときに用紙をなでるように、ゆっくり、しっかり、まんべんなく。
それから、そっとその黒画用紙をはがしていきます。
すると、そこには先に描いた線画と下地に塗られた色の模様が写っていました。
しかもそこに写し取られた線画と模様は、まったく予期せぬ絵柄となって表れたのです。

子どもたちは各自の目の前に色のかたまりをつくり、それぞれそが思い思いの絵や模様を描きはじめました。
今回の最終課題へのチャレンジはみごとに成功し、各自が黒画用紙に〈アート作品〉として自分を残すことができました。

実は、年中クラスの子どもたちが退室した後、もうひとつ子どもたちが作品を残していたことに先生は気づきました。
次のクラスの準備のためにぐちゃぐちゃに彩色された透明のシートをはがしたときに、先生がそのシートを見て「ここに残されたものもアートだね!」と言い、白い壁にそれを飾るように掲げてみせました。
まさに、そこにも透明なシートに描かれた〈アート作品〉が存在しました。
それを見た瞬間、アメリカの抽象表現主義の代表的な画家ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912年 – 1956年)を想起しました。
彼の特長的な画法であるアクション・ペイントです。

具体的なものを描くというより、描くという行為そのものを強調したというのでしょうか、計算されて彩色をするのではなく、絵の具を垂らしたり、飛び散らせたりと、今回子どもたちがやっていたような行為に近いものです。もちろん、これは感じるひとそれぞれの見方ですから、必ずしも誰もが彼を想起するとは限りませんが。
もっとも、子どもたち自身がこんな見方をする必要はありませんし、それに気づかなくてもいいのです。

クラフト用紙に収まった自分を、客観的に見つめる作品に

年長クラスの子どもたちには、床に敷かれたブルーシートの上に透明なシートではなく、ロール状のクラフト用紙を同じ長さに2枚カットして並べて貼り合わせました。
子どもたちはその周りに座って先生からの説明を待ちます。
先生は年中クラスの子どもたちとはまったく違うアプローチの仕方から入りました。

まず先生は絵の具のついた筆を持ちながらそのクラフト用紙の上をゆっくり歩きはじめて、急に歩いていた足を止めるとその自分の足のかたちを筆でなぞりました。
その足を外すと、そこにはくっきりと先生の足あとが残ります。
またもう一歩踏み出してその足を止め、同じように自分の足のかたちを筆でなぞりました。
またその足を外すと、先生の足あとは2つになりました。
それから今度は少しおおまたでもう一歩先に踏み出して、同じように筆でなぞりました。
クラフト用紙の上に先生の歩いた通りの足あとが残っていきます。

今度は目の前の子どもを呼んでクラフト用紙の上に立たせました。
そして先生は、同じようにこの上を歩くポーズをしてねと言って、歩き出すポーズの姿勢をとった状態でマネキンのように止まらせて、また絵の具のついた筆でその子の足のかたちをなぞりました。
何歩か同じように足のかたちをなぞり、ほかの子どもの足あともそこに重ねていきました。
ここまでやれば、もう子どもたちへの説明は不要です。
各自が絵の具のついた筆を1本ずつ持って、クラフト用紙の上を自由に歩きまわりながら自分の足あとを残していきました。
あっという間にクラフト用紙の上は子どもたちの足あとだらけになりました。
そのうち自らの足の裏に色を塗って押し当てたり、足あとだけでは飽きたらなくなったのか、両手のひらをなぞったり、まったく別の模様を描きはじめたり。

ここでも先生は年中クラスの子どもたち同様に、主だった指示を与えません。
それでも子どもたちはやはり、自らの両手、両足を彩色しはじめ、またしてもカラフルなボディペイントが展開されました。
アプローチの仕方こそ違えども、たどりつくところは同じようです。
また、年長クラスはクラフト用紙そのものが〈アート作品〉となるよう、あらかじめ意図してはじめているので、この時点でりっぱな作品として仕上がっています。

でも、先生は再び一段階アップさせる仕掛けを用意していました。
これだけでもこの作品のなかに子どもたちの存在は認められますが、ひとりひとりがより明確にその存在を残せるようにと考えたのです。
そこで全員をクラフト用紙の外に出るように言うと、ひとりの子どもをクラフト用紙の上に座らせました。
そして今度はその座ったままの態勢を黒色の絵の具でかたどりました。
子どもが立ち上がると、その子の座ったあとがくっきりと残っています。
これを見ならって、それぞれが好きな場所に座るなり、あおむけに寝るなり、横向きになるなり、全身がそのクラフト用紙の上に残るように指示して、先生や保育士がその子どもの姿を黒色の絵の具でかたどっていきました。

こうして参加した子どもたち全員が、なんらかのかたちでクラフト用紙のなかに収まりました。
「あれ、ぼくだよ」
「真ん中にあるのはわたし」
「はじで寝てるの、だーれ?」
クラフト用紙の外から眺めた子どもたちは、誰もが客観的に自分を見ています。
それって、とても不思議でおもしろい体験です。

この作品を見て、やはりアメリカの画家キース・へリング(Keith Haring、1958年-1990年)を想い出しました。今でも彼の作品はよく見かけるのでどこかでご覧になっている方も多いかと思いますが、特に彼の絵に登場する黒色の輪郭線だけで描かれたひと型は有名です。でも、それよりももっとリアルで、いきいきとした躍動感を感じました。

この作品は、最後に園のエントランスに設けられた図書スペース前にある大きな黒板に展示されました。

自分自身の痕跡を客観的に見つめ、そこから何かを感じてくれたらいい

「今回は年中・年長それぞれに応じた展開を想定しました。
年中クラスには〝海〟のイメージからどれだけ自分たちでそのイメージを広げていけるか、または壊していけるのか。
年長クラスは足の動き(軌跡)をたどっていくという地味なスタートから、自らの考えでいかに次の段階へと大きくステップアップしていけるのか。
ひとつのきかっけを与えれば、あとは年齢や経験相応によって自ずと発展させていくものだと思っています。
そして、それについておとな(指導者)は余計な口を出さずに静かに見守ってやらせること。
そうすることで、予期せぬ成果が得られるんじゃいか。
とくにアートという分野のことで言えば、これもひとつの指導方法として有りだと考えています」
そう話しはじめたのは松澤先生です。

確かに先生が何も言わないうちに、連鎖的ではありますが、子どもたちはいつの間にか自らのからだに絵の具を塗りはじめていました。
それについても先生は、歴史的な事象などを交えてこんなふうに語ってくれました。
「自らが、自らのからだに色を塗るって、もともと人間のなかに在るものかもしれません。
身体装飾という言葉がありますが、旧石器時代のネアンデルタール人から古代エジプトあたりまで遡ってみても、身体装飾を施していたという歴史が残されているようです。身体装飾は髪を結ったり、宝飾品を身に付けることもそうですが、顔やからだに彩色、つまり化粧などをするのもそうです。
それらは当時、美意識のためだけではなく、呪的や通過儀礼、または階級や権威、同族の証なども目的にしていたといいますが。自らのからだに彩色していたことは紛れもない事実です。いまでも原始社会では、ボディペインティングの原点を見ることがあります。
そういう意味からすると、子どもたちの方が私たちおとなよりよほど人間の本能に従って、純粋に、かつ人間らしく生きているのかもしれませんね」

また先生は最後に今回のワークショップを振り返り、
「アート作品をつくるって、ある意味そこに作家(製作者)の存在を残す行為ではないかと思います。
あきらかにその時間、その場所に、その作家は存在していたということを証明するようなものではないでしょうか。時間や時代を超越して、その作品が消滅しない限り、そこに刻まれた作家の存在は残っていきます。
今回最後に完成させた作品は、いずれも創作したその子がそこに投影されています。
子どもたち一人ひとりが自らの身体を使って、この時間に生きて動いた痕跡を確実に作品のなかに残したということです。
それを子どもたち自身の意思で客観的に見つめることができれば、必ずそこから何かを感じとってくれるはずです。
仮にそれが何十年か先であっても、夢中になってアートに没頭していた自分が確かにそこには居たんだという事実を想い出すなり、気づいてくれたら、きっとその瞬間に違う自分が見えてくると思います。
そう考えるとこのワークショップは、子どもたちの未来のいつの日か、この過ぎた過去を取り戻すための手段のひとつとして布石を打っているようなものかもしれませんね」
と遠い先に視線を向けながら話しを締めくくりました。

ドキュメンテーション

written by OSAMU TAKAYANAGI

【にじいろWS 2023-6月】紫陽花色のテキスタイル

2023年6月21日 水曜日投稿

長雨に気持ちも沈みがち、でも今回はそれを楽しんじゃいます

梅雨時は、一年のなかでも心身ともにもっとも沈みがちなとき。
季節の便りに「長雨の候」と書き出すように、雨の日ばかりが続きます。
ぽつぽつ、しとしと、ざーざーというおなじみの擬声語が飛び交うのも、この時期ならではのことですね。

そんな雨景色のなか、私たちをひときわ魅了する植物といえば、誰もが迷うことなく紫陽花(あじさい)と言うでしょう。
明治時代の有名な歌人・正岡子規(1867- 1902年)も、梅雨の雨と紫陽花を眺めてこんな句を詠みました。

〈紫陽花や 壁のくづれを しぶく雨〉

なにげない情景描写ですが、その光景がありありと浮かんできますし、自然への想いというものが100年以上前の歌人といまの私たちと何ら変わらぬことに驚きます。
この季節は家の庭や近所の公園、または社寺、学校の花壇など、いたるところで目にします。
当園にも入口付近から玄関口に続く通路に、花や葉に雨粒を湛えた鮮やかな紫陽花が並んでいます。
その美しい佇まいは、子どもたちの送迎を毎日やさしく見守っているかのようです。

そこで今回のにじいろワークショップは、梅雨と紫陽花をイメージしながら「紫陽花色のテキスタイル」をつくります。
テキスタイル(Textile)とは、日本語で言えば織物や布地のことですが、ここでいうのは糸によって織り込まれた繊維製品そのものではなく、そこに描く(染める)などしてデザイン的な装飾を施した、いわゆるアートとしてのテキスタイルです。

にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、
「さまざまな雨によって聴こえかたの違う雨音、その雨のさま、そしていまの季節に咲く紫陽花の色彩などを五感でとらえて、子どもたちなりにそうした自然の在りようを素直に一枚の布へ写し取ってくれたらいいかな」
と話していました。
そうですね、理屈はさておき、子どもたちには新しいアートワークを存分に楽しみ、しっかり体感してもらうことが一番ですから。

「さらし」に「染料」、準備も試行錯誤・・・初ものづくしのワークショップです

今回の創作内容ですが、実は当園で行うのは初めてです。
なので、まずは使用する画材について簡単に説明しておきましょう。

画布となるのは「さらし(晒)」です。
それに筆で絵や模様などを描いていくのですが、その彩色の材料は「染料」です。

さらしは、綿100%・長さ10m・幅34cmのものを年中・年長クラスそれぞれ2本ずつ、計4本使用します。
さらしという素材は漂白された純白の織物で、主な用途は、身近なことでは台所で調理をする際の水切りなどとして使用しますし、古くから妊婦の腹帯や乳児用の肌着、おむつなどにも用いられ、または着物を着付ける際の補正などにも重宝がられています。
衛生的で肌触りが柔らかく、通気性・吸湿性や耐久性に優れているというのがその理由のようです。
彩色の染料ですが、子どもたちが直接肌に触れても安心なものを十分に吟味してそろえました。
もっとも現在では人体への影響がなく、有害指定化学物質を含まない新しいエコ染料が一般的です。
これに染料を取り分けるボール(色数分)や筆洗器、筆と染料を入れる紙コップなどを用意しました。

そして実施場所ですが、創作内容や展開などを考慮すれば屋外で行うのが最適です。
しかし梅雨時なので、室内で行うのもやむなしとあれこれ思案していたのですが、なんと、日頃の行いの良さでしょうか、ワークショップ当日はまさに梅雨の晴れ間となり、屋外での実施となりました。
それも前回に続き、園舎と隣接する送迎用の駐車場です。
雨続きで思うように園庭での遊びができなかったせいでしょうか、屋外の広い駐車場というだけで、年中・年長両クラスの子どもたちのテンションは急上昇です。
もちろん梅雨の晴れ間は温度も高くなりますから、熱中症対策に帽子とタオル、各自の水筒は必需品です。

場所(駐車場)が決まれば、そこでの準備にも触れておきましょう。
あらかじめ先生と保育士たちで駐車場に2脚のテーブルを用意し、駐車場の端(奥)と端(手前)に1脚ずつ対極になるよう置きました。
その対極に置いたテーブルとテーブルとの間隔は、距離にしておよそ10m弱。
つまり、1本10mのさらしをまっすぐに伸ばしたとき、さらしの両端を対極に置いたそれぞれのテーブル上に粘着テープで固定することができるということです。
こうして2本のさらしを、線路のレールのように平行にまっすぐ伸ばして両端のテーブル上に固定しました。
まるで、対極にある岸と岸を結ぶために架けられた長い橋のようです。
これで最初の準備は完了したのですが、年中クラスの子どもたちで行った結果を踏まえ、年長クラスのこどもたちはこの設定を若干変更し、さらしをまっすぐに伸ばして、対極に置いたテーブルへの固定ではなく、そのまま地面にさらしを置いて、ピンと張った状態のまま両端を地面に直接粘着テープで貼り付けました。
年中クラスでは、子どもたちが一斉にさらしに描きはじめた途端、宙に浮いた状態を保つのが厳しくなって、大きなたるみやよじれが出てしまい、しっかり固定していたはずのさらしも幾度が地面に落ちてしまったのです。
見るとやるとは大違い、とよく言いますが、初めてづくしのワークショップは、画材選びも準備も、あれやこれやと試行錯誤の連続です。

初めての挑戦ながら、すてきな〈アート〉作品に仕上がりました

準備もすべて整い、いよいよワークショップ開始です。
最初は年中クラスですが、その子どもたちの目にいきなり飛び込んで来たのは、駐車場の真ん中にまぶしいくらいの純白な長いさらしが2本。それも端から端まで宙に浮きながらまっすぐにピンと張られ、ときおり風に揺れているなんとも奇妙な光景でした。
これに驚くな、という方が無理というもの。
子どもたちがその瞬間どのような反応をしたか、言うに及ばず、です。

いつものように先生はそんな子どもたちを集めて、今回のワークショップについて話しはじめました。
先生は頭にかぶっていた1本の長方形の繊維製の手ぬぐいをほどいて子どもたちに見せ
「これは布で出来ているのはわかるよね?みんなの周りにもこんな布でできたものがたくさんあるでしょ」
そして今度は宙に浮いた2本のさらしを指して
「みんなの目の前にある、あの長~い真っ白なものもそうです」
子どもたちはすばやくさらしに視線を移し、大きく頷きました。
それから再び先生は自分の手ぬぐいをひろげ
「でも、先生のは、ほら、きれいな模様が入っているでしょ、でもこっちの布は真っ白で何の模様もないよね」
先生はさらに続けて
「そこで、今日はみんなにこっちの真っ白な布に模様を描いてもらいます」
子どもたちはようやく今日の趣旨を理解したようです。

先生は次にピンと張られた1本のさらしの中央に子どもたちを集め、初めて使う染料についての説明と、どのように描くのか、そのお手本を見せました。
染料の入ったコップに絵具用の筆を浸してなじませると、その筆先をゆっくり真っ白なさらしの上に押し当てます。
筆使いはいつもと違い、すべらせるのではなく、じっくりと染料がにじむように押し当てます。
筆を押し当てた真っ白なさらしのその個所に、染料がじわじわとにじんでいくのがわかります。
子どもたちは先生の筆使いや、染料がさらしににじんでいくようすをしっかり頭に焼き付けました。

そこで先生は、やはりあらかじめ摘んでおいた園に咲く紫陽花の花や葉を子どもたちに見せてこう言いました。
「今回みんなに描いて欲しいテーマは、梅雨時の美しさやこの時期に咲く紫陽花のイメージです」
紫陽花を描くもよし、その花や葉のイメージを色やかたちで表現するもよし、それは子どもたち一人ひとりに委ねました。
先生の説明を見聞きすると、子どもたちは2本のさらしを挟み二手に分かれ、各自割り当てられたさらしの位置に立ちました。

さあ、これからいよいよ初めてのアートワークに挑戦です。
年中クラスの子どもたちは、やはりワークショップの経験も浅いので初めての道具になれること、絵を描くことというふたつのチャレンジがなかなか思うようにはいきません。
それでも、個人差はあるものの、どの子も少しずつ布に〝染める〟ことの面白さがわかってきたようです。
みるみる真っ白なさらしは子どもたちの描いた模様で鮮やかな色彩に染まっていきました。

 

さすがにワークショップ二年目となる年長クラスの子どもたちは、さらしに筆を押し当ててにじませる技術やその要領を得るのも早いです。
それに、年中クラスの子どもたちには描けなかった紫陽花もしっかり写し取る子がいましたし、なかには葉をさらしに押し当てて染料を上から垂らし、葉のかたちをさらしに写し取る子もいました。

子どもたちの成長は、その年齢と経験の重なりによるものだと思うのですが、アートワークにおける成長もまた、年齢と経験のひとつずつの確実な重なりがもたらすものだということを改めて感じました。

自ら自然のなかに入っていけるような、そんな感性を持ってもらいたい

年中・年長クラス共に制作した作品は、さらし全体を一度水で洗い流し、それを乾かして完成品となります。
今回は世の中にたった4本しか存在しない、素敵なオリジナル・テキスタイルが完成しました。
今後は園内を飾るタペストリーのような装飾品として、または園の各行事に園舎2階などから鮮やかな垂れ幕として掲げるのも良いかと思います。
誰よりも制作した子どもたちにとって、そうして事あるごとにたくさんのひとの目に触れるような使い方が一番うれしいのではないでしょうか。

先生はワークショップ終了後に、先に仕上がったテキスタイルを1本だけ園に咲く紫陽花と絡めて、早速アート表現として展示して見せました。
表現の仕方に決まりはない、常識を外すという魅せ方と言ったらいいでしょうか、即興でしたが思わずおもしろい空間アート体験をさせてもらいました。

では最後に、そんなユニークな発想を自ら楽しんで実行する松澤先生に話しを伺いしました。
「子どもたちにとっては染色という初めての体験でしたが、屋外でやれたことで、太陽の陽射しや空の色、ときおり吹き抜ける風、子どもたちの手元に落ちるひとの影など、つねに自然を感じながらアートができたこと、それに勝るものはないですから、それがほんとうに良かったです」
自然を意識しながらアートに関わることのすばらしさは先生がいつも話されていたことだったので、参加した子どもたちはもちろんですが、サポート役の保育士たちにとっても貴重な体験になったと思います。

さらに先生は、いま再びこの本に感銘を受けている、と言って一冊の本を見せてくれました。
それは、レイチェル・カーソン(Rachel Louise Carson、1907 – 1964年)著作の『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』です。
作者をご存知の方も多いと思いますが、アメリカの海洋生物学者であり作家です。
この著書は、1965年に彼女の没後出版されたもので、幼少時から自然の不思議さや素晴らしさに触れることの大切さを語り、自然環境の重要性を訴えています。
先生はその本をさらさらと繰りながら
「自然の中にある神秘的なものに触れることで、どうしてだろう?とか、なんてきれいなんだろう!とか、人工でつくられたものじゃないからこそ受ける刺激に感動することっていっぱいあるでしょ。だから子どもたちにはそういう感性を養っておとなになって欲しいんです。そのことできっと、人工的につくられたものではない、もっと自然に満ちた豊かな発想でものごとを考えられると思うんです」
そう話しました。
先生は子どもたちへの指導においても常々こう言っています。
「風の音や、空の色や、雲のかたち、それから季節ごとに放つ植物の匂いなど、自然のもつあらゆるきらめきなどを感じ取って、自ら自然のなかに入っていけるような感性を持ってもらいたい」

レイチェル・カーソンもその著書のなかで、こう書いています。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。(中略)もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』を授けてほしいとたのむでしょう」
また、彼女はおとなである私たちにこんな言葉を投げています。
「もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう、そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります」

私も本棚に眠ったままの彼女の著書を、もう一度じっくり読み返してみようかと思いました。

(※引用文は、佑学社『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』上遠恵子訳による)

ドキュメンテーション

紫陽花色のテキスタイル

季節は、ちょうど、梅雨。紫陽花の似合う季節です。保育園にも美しい紫陽花がたくさんです。今回は、梅雨の水のイメージと紫陽花をイメージしながら、テキスタイルをつくっていきます。
生活の中にある、服、カーテン、カバーなどなどすべての布製品はデザインされたものなのです。瑞々しい季節、サラシを紫陽花の色に染めて、オリジナルのタペストリーを完成させましょう。

written by OSAMU TAKAYANAGI