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【にじいろWS 2025-11月】ひみつの家をつくろう~ティピーテント

2025年12月4日 木曜日投稿

アメリカ先住民の住居〈ティピー〉を模した、子どもたちの〈ひみつの家〉

はじめに「ティピーテント」という言葉について記しておきましょう。
キャンプに精通している方なら不要な説明ですが、キャンプ体験者であっても自ら道具をそろえてまで出かけるほどでなければ、案外耳慣れない言葉かもしれません。
簡単に言えば、それはキャンプのときに用いるテントの一種です。

もう少し詳しく言えば、アメリカ先住民の〈ティピー(tipiまたはteepee) =移動用住居〉をモデルにした円錐形のテントのことを指します。
それは中央に1本のポールを立てて設営する「ワンポールテント」というもので、設営が簡単で扱いやすいことから初心者でも手軽に楽しめるテントとして親しまれているようです。
もともと〈ティピー〉とは上述したようにアメリカ先住民(=ネイティブ・アメリカン)の、主に平原を移動しながら狩りを行う部族の住まいでした。小さいもので1~2人、大きいものでは数世帯が居住できる巨大なものもあるそうで、冬は暖かく夏は涼しいという、自然のなかで生きて来た先住民の知恵と経験が創り上げた住居といえます。
このアメリカ先住民の住居〈ティピー〉は、おそらく多くの皆さんがテレビや映画で一度は目にしているのではないかと思います。
例えば、西部劇というジャンルに登場するネイティブ・アメリカン(先住民)の住居が、まさにそれです。ネイティブ・アメリカンの集落には、決まって円錐形のテントがいくつも並びます。そう聞けば、確かに見たことあるなぁ、と頷く方もいるでしょう。

筆者の小さい頃の記憶ですが、小学生当時にテレビで観たディズニーアニメ『ピーター・パン(Peter Pan)』のなかに登場するネバーランドの先住民(おそらくモデルはアメリカネイティブ・アメリカンでしょう)の住居がそれでした。ピーターとその部族の酋長、そしてその娘タイガーリリーとの宴のシーンは、背景にたくさんの〝ティピー〟が映ります。そのせいか、個人的にネイティブ・アメリカンと聞けば、その円錐形のテントが即座に浮かびます。

さて今回のワークショップは、この〈ティピー〉を模した、子どもたちだけの〈ひみつの家〉をつくろう!というものです。といわれても、私にはまったく想像がつきませんが・・・。

ホール内をキャンプ場に見立てて、想像する自然のなかで遊ぶ

今回のテーマについて、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生はこう話しました。
「いまキャンプがブームだと聞きます。とくにコロナ禍あたりから人が密集する都会を離れた場所での遊びとして急激にキャンプ人口が増えたとか。また自然回帰、非日常の体験、あるいはデジタルデトックス(※スマートフォンやパソコンなどのデジタル機器と意識的に距離を取り、心身の疲労やストレスを軽減する)などもその要因だと言われています。
まあ理由はともかく、キャンプという行為は、明らかに日常から離れた〝自然〟のなかに身もこころも置くことですから、否応なしにその環境と対峙し、考えることも行動もそれに応じていくということです。これって、ひととして大事な経験のひとつではないかと思います。
そこで、ワークショップの範囲内でキャンプの疑似体験ができないかな、と考えたわけです。
つまり当園のホール内をキャンプ場に見立てて、そこに手づくりのテントを設置し、子どもたちが想像する自然のなかで思いっきり遊ぶ、といった内容です。
当園の子どもたちですから、きっといつもの想像力で、ホールいっぱいに山がそびえ川が流れ、生き物たちが走り出していく大自然の風景を想い描いてくれるでしょう」

最近はキャンプといっても、必ずしも自然そのままの世界に飛び込むというより、水道やトイレが完備されたキャンプ場にテントを張って、日常からそう遠くない環境で寝泊りするというものや、なかにはビルの屋内(インドア)にキャンプ施設を設けた「おうちキャンプ」なるものもあるといいます。

時代や社会と共に、キャンプの在り方は変化を遂げますが、その本質は普遍的なもののような気がします。
それはさて置き、ではなぜテント?ですか、と尋ねたら
「子どもって自分たちだけの〈ひみつの家〉のようなものに憧れるでしょ。仲のいいお友だちだけが集まっておしゃべりしたり、遊んだりする、いわば〝隠れ家〟的な、男の子だったら〝ひみつ基地〟っていうところかな。今回はキャンプということで、それをテントになぞらえてみました」
そんな話を聞いていたら、遠い昔の筆者の子供時代を想い出しました。
近所の原っぱや路地裏の空き地に段ボールなどを立てて自分たちだけの〝秘密基地〟をよくつくったものです。
大きくてもそのスペースは半畳程度で、そこに多いときには5~6人は入り込んだでしょうか。
確かにそこでは容易に想像の世界で遊ぶことができました。ときにはテレビで観た西部劇などに登場するネイティブ・アメリカンの円錐形の住居も意識していたかもしれません。おもちゃの二丁拳銃など腰に下げて。
先生はそんな昔話に笑いながら頷くと、さらに話を続けて
「テントといっても今回は子どもたち自ら手づくりで仕上げてもらいます。しかも使用する主な材料は紙素材としました。
また、テントは一人ずつ個別につくるのではなく、数人ずつのグループでひとつの大きなテントをつくりたいと思います。それにはみんなで協力し合うことが必要になりますから、今回はチームワークで挑んでもらおうかな、と。
そもそも自然のなかで行うキャンプって、参加する者全員で協力し合うということが前提の場ですからね」
想像上のキャンプとはいえ、なんだか本格的なものになりそうです。でも、具体的にどうするのでしょうか。

テントの支柱から骨組みを包むフライシートまで、すべて手づくり

まずはテントづくりからですが、年中・年長クラス共に4~5人のグループに分かれてひとつの大きなテントをつくります。参加人数を考慮し、年中クラスは3つのグループで3棟のテントを、年長クラスは4つのグループで4棟のテントをつくることにしました。

テントで最も重要なのはそれを支える骨組み、要は強固な棒状の支柱です。当然これも子どもたちが手づくりで仕上げます。そこで、使用する材料は紙といえども丈夫であることが第一条件なので、本年7月のワークショップで使用した厚くて破れにくい壁紙を再び用いることにしました。
支柱はどのグループもひとりが2本つくり、それを組み合わせてひとつのテントの骨組みに仕上げていきます。つまり4人のグループでは8本の支柱が出来上がり、その8本の支柱をつないでひとつのテントの骨組みをつくるということです。

先生はあらかじめ壁紙でつくっておいた棒状の支柱を子どもたちに見せ、それを見本として子どもたちの前で自らつくり方を実演しました。
一枚の大きな壁紙を床に敷いて、その端から小さく折っていき、次第に中央へとゆっくり、かつしっかり巻き込んでいくのです。こうして1本の支柱に仕上がるまでの工程をていねいに教えました。
この工程は時間をかけても確実に巻いていくことが大事です。おとなでもなかなか難しい作業ですから、ほとんどの子どもたちが途中までは進むものの、ふとした力の加減で巻きがゆるくなり、あっという間にもとの一枚の平らな壁紙に戻ってしまいます。それでもどの子もところどころ先生や保育士の手を借りながら、何度も何度も根気強く巻き込んで1本の支柱を完成させていきました。

そんな大変な思いをしながら仕上げた棒ですから、子どもたちひとり一人が〝成し遂げたぞ!〟という達成感を全身で味わったようです。どの子も満足そうにその棒を手にしてはしゃぎはじめました。
それを見ていた先生は、棒を絶対に横に振り回さないことを約束ごととして、子どもたちと一緒にその棒を持って列をつくり「えいえいおー!」と気勢を上げ、元気よく部屋の中を一周しました。

ところがそれでは飽き足らず、先生を先頭に園内の廊下へと出て行きました。子どもたちはもちろん歓声を上げて先生の後に従って行きました。
その光景はまるで大きな槍を持ったネイティブ・アメリカンたちの行列のようであり、または杖を手に険しい山へ登っていく山伏のようでもあり、最後は先生の発案で長い棒をほうきに見立て、それにまたがって空を飛ぶ魔女の大群にもなりました。

なんだかすっかりテントづくりから逸れてしまいましたが、これもまた当園のワークショップの良いところです。

ひと通り手づくりの支柱で遊び終わると、さあいよいよテントの仕上げです。
各グループで8~10本の支柱を、今度はテントを形づくる骨組みとしてつなぎ合わせます。ただ、この作業に限っては事前に検討した結果、効率や仕上がりの安全性などを考慮して、子どもたちではなく先生と保育士たちでつくることにしました。

その間、子どもたちには次の作業を進めてもらうことにしました。それはテントの骨組みを包み込む部分の制作です。つまり本物のテントでいえば、支柱にそって張っていく布製等の覆い(フライシート)のことです。
ここではそれを大きな扇状に切ったクラフト紙にしました。そして、そこに各人で好きな絵や模様をクレヨンで描いていきます。ただし、グループごとにその大きなクラフト紙に描くのですから、各人がバラバラに描いても、仕上がって眺めて見たらひとつの大きな絵や模様になるので、どの部分に誰がそんな風に描いていくのかなど上手に割り振りなどを相談する必要も生じてきます。まさにチームワークが試される作業です。

そうこうするうちに骨組みも出来上がり、子どもたちが描き込んだクラフト紙との合体作業にかかりました。
ひとつひとつとテントが仕上がるたびに、そのテントのグループの子どもたちはわれ先にとばかりにテントのなかになだれ込んでいきました。
先生は、まだまだ早いよ、と子どもたちを一度外に出るよう促し、最後の仕上げに折り紙や花紙でさらにテントへ飾り付けをするよう指示しました。これで、ようやく子どもたちだけの〝ひみつの家(テント)〟の完成です。もう誰に言われるまでもなく、どのテントも満員御礼です。

そんな光景を見ながら、ふと古いアメリカのポピュラーソング『My blue heaven (邦題:私の青空) 』の日本語詞の一節を想い出しました。
♪~狭いながらも、楽しい我家・・・古すぎましたね、失礼しました。

紙という素材でどれくらいの可能性があるのか、それをとことん体験して欲しい

その後、仕上がった年中・年長クラスの各テントは園内や園庭に運び出して、再び多くの園児に楽しんでもらったようです。

ワークショップ終了後、あらためて松澤先生に話を聞きました。
「当園のワークショップではすでに何回も行ってきましたが、〝紙と遊ぶ〟というか、紙という一枚の素材でどれくらいの可能性があるのか、それを今とことん体験しておいて欲しいという思いの企画でもありました。
とくに今回のように大きな壁紙とかクラフト紙を、自分の手でどんな形にも変化させることができるという経験はそうそう日常生活においてはできないことです。
平面で見ていたらただの壁紙だけど、それを自らの手の力で巻き込んでいくと、テントを支えるほど硬くて丈夫な棒になる、それも自分の背よりもはるかに高い棒に、なんて想像もしないことですから」

またしても古い話ですが、昭和時代の子どもたちは新聞紙を丸めて棒状にして振り回したり、新聞紙を折りたたんで兜に模し、それを頭にかぶって遊んでいました。貧しさもあったかもしれませんがそれだけではなかったような気がします。子どもたちにとっては、生活の貧しさがあってもこころの豊かさがあれば毎日を楽しく過ごせた時代でした。

先生は最後にこんな話で締めくくりました。
「今日の子どもたちの、壁紙で棒をつくり上げたときのとても満足そうな表情はなんとも言い難いものでした。誰もが誇らしげで、そしてどの子も無意識に床や天井に向けて何度も棒を突き上げていたのが印象的でした。
いまは遊び道具など簡単に手に入るし、TVゲームで仮想空間にいつだって行ける。でも、ただひたすら壁紙を丸めてつくった棒を手にしただけなのに、いったいどんな思いであんな表情や行動に至ったのでしょうね。
子どもたちのこころとからだが勝手に動き出すというか、もうおとなの理論では測れない、自然に任せた表現というのかな・・・」
先生の言わんとしていることがなんとなく伝わってきました。
ふり返れば、支柱となる棒をつくり終えた子どもたちと一緒にその棒を携え、唐突に部屋を飛び出して廊下を回りはじめた先生は、おそらくそんな子どもたちが放った何かに触発されたのかもしれません。
もちろんそれは理屈ではなく、ごくごく自然の成り行きで。

written by OSAMU TAKAYANAGI

歳末たすけあい運動募金(12/1~26)

2025年12月1日 月曜日投稿

笑顔があふれる地域ヘ・・・

歳末たすけあい運動募金

令和7年12月1日~26日ご協力をお願いいたします!
今年も12月より歳末たすけあい運動が始まります。この募金は、「皆で明るいお正月を」という趣旨のもと、「一品持ち寄り運動」として始まり、昭和34年から共同募金運動の一環として展開されています。近年は、小地域ネットワーク活動を行っている団体への活動助成金等、地域福祉活動への募金の活用が進められています。

お問合せ

社会福祉法人羽村市社会福祉協議会
羽村市栄町2-18-1
TEL 042-554-0304

【にじいろWS 2025-10月】マティスの切り絵から~切り絵あそび

2025年11月10日 月曜日投稿

マティスの豊かな芸術を、子どもたちが体験できるすばらしさ

1951(昭和26)年、日本初のアンリ・マティス展が東京・上野で開催されました。
この時のことを、画家・池田満寿夫(1934-1997年)の著書で読んだことがあります。
正確な記述は覚えていませんが、当時長野県長野市に住む高校生だった池田はそれを観るために初めて上野へ上京したというのですが、どうやらそのマティスには失望したと記してありました。そればかりか、そのあとすぐにピカソ展が開催されることを知り、上京など簡単には許されなかった身であったことからそれを知っていればマティス展には来なかったとまで書かれていたのが印象的でした。
私がそれを読んだ頃、すでに池田は世界的な画家としての地位を確立していましたが、ピカソから受けた影響については多くの著書で綴っていたものの、マティスに触れた記述は読んだ覚えがありません。
実は私自身もその頃はピカソに傾倒しても、マティスに惹かれることはありませんでした。

マティス(Henri Matisse,1869-1954)とピカソ(Pablo Ruiz Picasso,1881-1973)は、1860年以降の近代美術の流れのなかで奇しくも同時代に名を馳せた画家です。そこで二人は比較されることも多かったといいます。ただ作品への取り組みや性格面から見れば、まったく違った存在だったようです。そんな二人を、評論家の故・海野弘は著書『マティスの切り絵と挿絵の世界』のなかで、こんなふうに指摘していました。
「ピカソは新しいスタイル、若さを求めてたえず変化していった。マティスは、同じものの中で成熟を求めた」

それからだいぶ年月が経った2004年、上野の国立西洋美術館で大規模なアンリ・マティス展が開催されました。

当時の私は仕事一辺倒の日々でしたから、憂さ晴らし程度の軽い気持ちで上野に出かけました。ところがまったく予想もしなかったことですが、初めてマティスの生の作品に触れ、彼の静かながら作品に込めた熱い想いのようなものにすっかり魅了されたのです。
赤や青、そして黒の鮮やかな色彩が、カンヴァスのなかに心地よいリズムを生み出しているのを感じました。そして晩年彼が打ち込んだという色紙を切り貼りした切り絵作品、とりわけ『JAZZ』と題された一連の切り絵のコラージュは、作品ごとにさまざまに変化し、まさに最高のスウィングが聴こえてきました。

今回、そんなマティスがワークショップのテーマに掲げられました。彼が生涯をかけて創り上げた豊かな芸術を、わずか4~5歳の子どもたちが体験できるというすばらしさに、なぜか私の心までがスウィングしています。

自分の目で直接見たこと、感じたこと、そしてそれを自分の言葉で伝達すること

にじいろワークショップのテーマに作家名を掲げるのは、昨年8月のF・ステラ(現代美術家)以来のこと。
個人的には、機会があればもっともっと著名な作家を採り上げても良いのではないかと思っています。
なによりも本物を見ること、知ること、触れることは、子どもたちにとってとても大事なことのような気がします。特に純粋にものごとを受け止め、何かに忖度することなく自由に自分の言葉で感想を言えるよう歳頃に。そうしたことが、無意識のうちに自分の目や心を養っていくように思います。もちろんこれは、アートに限らずすべてにおいて。

さて、そんな些末な私見はさておき、今回も前回同様にワークショップのはじまりは年中・年長クラス共にプロジェクターや絵本を通してアンリ・マティスという人物像から作品までを紹介していきました。
いつものことですが、松澤先生は壁に映し出された映像を一方的に説明するのではなく、常に子どもたちの自発的な意見や感想などを聞き入れながら進めていきます。

まずはマティスの肖像写真を、それから代表的な作品を映し出しました。すると、早速子どもたちから、
「あははは、みんな裸だぞ!」「なんで踊ってるの?」「真っ赤な部屋なんておかしいよ」
などと矢継ぎ早にいろいろな感想が飛び出てきました。
でも、先生は子どもたちの声を決して無視することも、否定することもしません。むしろ一緒になって、
「そうだね~先生も子どもの時にこの絵を見て、なんじゃこりゃ~って思ったよ」と、子どもたち以上に大笑い。
最後に今回のテーマでもある切り絵の作品が映し出されると、ここでも画面を構成する抽象的な形を見て、
「あ、パンがあるよ、お芋のカタチした」と画面を指す子、木の葉をモチーフに描いた作品では「ひとが寝てるよ」と思いもよらない感想が次々に。

先生は「○○くんはどうしてそんなふうに見えるの?」と逆に一人ひとりに質問をして、その子の意見をしっかり聞いては「そーか、ほんとだね」と同調したり、「言われてみればそうかも」と感心したり。
いまは子どもたちにとってマティスがどんな人物で、どれほどの作品なのかはわからなくてもいいのです。
それでも、マティスというひとの作品を、自分の目で直接見たこと、感じたこと、そしてそれを自分の言葉としてきちんと伝達したこと、そうした体験を心のどこかに刻み込んでいてくれれば、それでいいと思います。
これから先、本物だからこそどこかで出会う機会もあるでしょう。そのときに、遠い昔このひとの作品を笑ったなとか、おかしな絵だったなって想い出すだけでアートへの入り口は広く、すんなり入っていけるはずです。

色紙を選び、ハサミで切って、貼る。ただそれだけですが…

ひと通りマティスやその作品についての説明を終えると、いよいよ実践です。
年中クラスの子どもたちは白色ベースの台紙に、年長クラスは黒色ベースの台紙に、それぞれ自分の好きな色紙(台紙の1/2程度の大きさ)を2枚選んで貼り付け、次に別の色紙を思いついたままハサミで自由なカタチに切り取り、ベースの台紙に貼っていきます。
もっと簡単に言えば、色紙を選び、好きなカタチにハサミで切って、貼る。ただそれだけですから、創作内容はいたって単純です。でも、そこにむしろ難しさがあるともいえます。具体的に描く題材や対象物がある方が、創作活動ははじめやすいものです。

マティスの作品を大笑いしていた子どもたちも一転、真剣な表情で用紙の色を選び、大きな白や黒ベースの台紙に何度も迷いながら位置を決めて貼り付け、別の用紙を手に取りハサミをにぎると、時にすばやく大胆に、時にその動きを止めては慎重に、指先とハサミの動きをゆっくり、しっかり見つめて切り込んでいきました。
色紙から切り出されるカタチに明確な指示などありませんし、当然一本の輪郭線さえ描きません。あくまでも自分の思いと、〝指まかせ、ハサミまかせ〟のなりゆき次第です。

はじめる前は、先生たちと果たして子どもたちは自分の力でどこまでできるのか不安でした。自由気ままに切ればいい、と一言でいうのは簡単です。でも、大人でさえそう言われてサクサクと切り込みを入れられるだろうかと考えれば、先にいろいろなカタチを切っておいて、それを選んで貼るという方法さえ挙げたくらいです。
それでも最終的には子どもたちの力を信じて、すべての工程をやらせてみましょう、ということになりました。

しかしはじめてみれば、誰もが自分の台紙の前に座り込み、自ら切り抜いた色々なカタチを縦にしたり横にしたり、また斜めや逆さにしたりと何度も何度も配置を変えてみながらも、最後は自分の意志をもって貼り付けて、見事な作品を仕上げていきました。
最後に年中・年長クラス共に、いつものように作品をホールの端に集めてみんなで鑑賞しました。子どもたちそれぞれが自分の作品を堂々と誇らしげに掲げては、何かを成し遂げたという満足そうな表情を浮かべていました。

そんな子どもたちは今日一日で、マティスという作家の一端を体現したのではないでようか。
その後、年中・年長クラスのすべての作品を当園エントランス内にあるブックラウンジ前に設置されたブラックウォールに展示しました。

「送迎時に足を止めて見て行かれる方がとても多かったです」と教えてくれた担当の主任保育士からその様子をさらに伺ったところ、自分の作品を一生懸命指さして教える子や、松澤先生のワークショップのまとめに貼られていた写真の人物のことを聞かれて「マティスだよ!」と保護者に教える子もいたそうです。
そうそう、当ブックラウンジには、「小学館あーとぶっく『マティスの絵本』」と「小学館あーとぶっく『ピカソの絵本』」という二人の画家を紹介した児童向け絵本があるので、よろしかったらご覧ください。

誰もが忘れてしまっているけれど、意味もなく切る行為に面白さがあった

終わってみれば、マティスを彷彿させる作品の数々が生み出されました。
では最後に、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生に話を聞きましょう。
「一見〝マティス〟に焦点を当てたワークショップに思われますが、実際は〝ハサミ〟で切るという行為そのものに焦点を当てています。制作する上でマティスが残した晩年の作品群を参考にさせていただきましたが、どちらかといえばそれは二次的なものですかね(笑)」
先生は私のマティスへの思いを知ってか知らずかそう話はじめると、すぐさま本題に入りました。
「ハサミは何を切るためにあるのか、4~5歳になるとその目的が明確になってきます。つまり行為そのものに意味があって、それを達成しようとする道具と考えるようになるんですね。ですから、ハサミの役割はそれ以上でもそれ以下でもない。私たちおとなもそんなふうに考えているひとがほとんどで、それが当たり前です。
でもハサミを初めて手にして、それを使えるようになった頃って覚えていますか?
誰もがいつの間にか忘れてしまっているけれど、その頃は意味もなく切る行為に面白さがあったと思うのですね。目的はないけど、ただただ切ることが面白い、自分の思いのままに切ることができるって、ある意味快感ですよね。暴力的行為という見方よりも、子どもなりに抱えた小さなストレスを単純に発散できたはずです」

先生の話を聞いているうちに、マティス自身のことがふいに頭をよぎりました。
マティスは晩年大病をした後、体力が衰えたこともあり、助手が彩色した紙を切り抜いて貼り合わせる切り絵の作品づくりに没頭します。まさに筆をハサミに持ち替えたのです。しかし、これまで神経質なほどデッサンに拘り、緻密に練られた構図や色彩でカンヴァスに描いてきたマティスが、そうした前段階の周到な準備もなく作品づくりに入っていくことが不思議でしたが、考えてみたらそれらの準備をいきなり飛ばして作品を仕上げるというのは、こうした原点回帰のような境地にたどり着いた結果なのかもしれません。
マティスは「切り絵では、色彩の中でデッサンをすることができる」という言葉を残しているといいます。自由に切って、貼り込んでいく行為に、かつてのような作品づくりと同等の思いを見出したのかもしれません。

先生は続けてこう締めくくりました。
「アートとして考えるかどうかは別として、何かに行き詰ったり、考えることに疲れたとき、無心に指先とハサミ任せに紙を切り込んでみる、そんな行為が意外ともやもやした気持ちを断ち切って、次への新しいステップにつながったりします。子どもたちにはこの体験をおとなになっても覚えていて欲しいと思います。少なくとも、今日、この時間はマティスになり得たのですから」

written by OSAMU TAKAYANAGI

【羽村市】11/16・17 愛情はむらまつり(羽村市×ヒノトントンZOOイベント)

2025年10月27日 月曜日投稿

はむら家族プロジェクトの一環でヒノトントンZOOを会場に「愛情はむらまつり」を開催します。
親子で遊びながら新たな羽村の魅力を発見できるイベントやプレゼントを用意します。
ぜひ、お越しください。はむりんにも会えますよ!

 

【にじいろWS 2025-09月】巻き段ボールのコロコロ

2025年9月16日 火曜日投稿

誰もが思い描く〈アート〉的なものとはほど遠いワークショップ

今日ではすでに周知のことですが、〈アート〉とは、ただ絵を描くこと、それを眺めることだけではない、広義でも狭義でも捉えどころのない複雑な存在です。
にじいろワークショップは、子どもたちがそうした〈アート〉に対して、理屈ではなく自らのからだや五感を使ってそのものの本質に少しでも近づいていけたらいいなぁと、これまでさまざまな方向から、またはあらゆる手段を用いて〈アート〉へのアプローチを試みてきました。

例えば、直近では前々回(7月)前回(8月)とそれが顕著に表れた内容でした。
7月は、考える(思考する)のではなく、心の底から自然に湧き出たインスピレーション(感情や霊的衝動)のおもむくままに、小さなサイコロ状のスポンジを、そして自身の手や足といった肉体を絵筆に、初めて使用する壁紙という支持体に鮮やかな色彩をなでる、こする、ぶつけていくというものでした。
それとは真逆に、8月はまず頭で考え、緻密に練り上げ、常に全体のバランスを図りながら軸となる割りばし一本一本を、団子状にまるめた粘土をジョイントにしてつなげていくという、派手な色彩もなくとてもシンプルな立体物をつくり上げました。
つまり、いずれも意図して描くでもなく、ただ観るでもない、それとは全く異なる観点からの創作活動です。
そして今回(9月)も、8月の内容から派生した発想で「立体物をどのようにすれば〝動かす〟ことができるのか」というテーマを打ち出し、簡単な動きの仕組みについて自らの創作を通して知ろう、という誰もが思い描くであろう〈アート〉的なものとはほど遠いワークショップになりました。

車を動かす重要なタイヤづくりに、子どもたちは真剣に取り組みました

具体的なモチーフとして選んだのは、4輪からなるごく一般的な「車」です。
子どもたち誰もがそのものをイメージできること、そして4輪が回ることで車体が前後左右自由に動かせるという、実にシンプルな仕組みで成り立っていることから選定しました。
さらに創作の課題としたのが自動車でいう4本の「タイヤ」づくりです。
一見簡単に思われますが、この4本のタイヤの絶妙なバランスと、どれもが同じように回転することで大小さまざまな車体を移動させているのですから、とても重要な部分です。
この部分をしっかりつくり上げれば、どのような車体を上に乗せようとも立体物は押すか引っ張るかで動き出します。

今回の創作については、タイヤの形状である円形(円盤)をそのまま切り抜く、またはそれに匹敵する物(円形のフタなど)を用いることは敢えて除外しました。
そこで、本稿の表題に記した「巻き段ボール」を用いて、子どもたちはタイヤづくりからはじめます。

年中・年長クラスの子どもたちは松澤先生の指導を受けて、まず均等の長さと太さを持つ丸形の竹串の端に、1~1.5cm(幅)×40~50cm(長)に切り取った帯状の段ボールをゆっくり、しっかりと巻き込んでいきます。
その際、凹凸のない面を巻き込めば、仕上がりはゴツゴツとしたキャタピラーのようなタイヤになります。建設重機などによく使われている太くて大きなタイヤです。
逆に凹凸のある面を巻き込めば、仕上がりはツルツルとした、一般的な車のノーマルタイヤのようになります。

でもこの巻き方を誤ると、タイヤはグズグズになってすぐに竹串から外れてしまいます。だから、子どもたちは誰もが真剣にじっくりとその作業に取り組みました。
どの子も最初の竹串に巻き込む作業で難航し、何度も何度も繰り返して巻き直していました。

片輪ずつ2本の軸を仕上げたら、それぞれの竹串の軸にストローを通して、その端にもうひとつずつタイヤをつくっていきます。
最初は戸惑っていた段ボールの巻き込みも、そのコツを覚えると2本目のタイヤをつくるときにはほとんどの子どもたちが上手に仕上げることができました。
時間はかかりましたが、丈夫で滑りのいい車輪が二組(4輪)完成です。

次に、あらかじめ集めておいたお菓子などの食品や雑貨・小物が入っていた空き箱の山から、それぞれが好きな大きさや形の箱を選びました。

その箱が先につくった車輪の上に乗せる車体になります。
先生も空き箱のひとつを取り出して底面を上にすると、そこに2本の車輪の軸を置き、箱から外れないように軸の真ん中に通したストローをしっかりテープで固定しました。
これでストローのなかで軸はスムーズに回転して、それにともない両端のタイヤもクルクルと動いていくのがわかります。それを確認して車輪の面を床に戻せば、車の原型が見えてきます。

子どもたちもそれにならい、車輪が外れないようにしっかりテープで固定していきました。
でもこのままでは車らしくないので、車体部分となった空き箱に色紙や厚紙に色をつけて窓や扉などを取り付けて自分だけのオリジナルの車体をつくりました。
なかには、厚紙から猫の頭の形を切り取り、そこに猫の目や鼻や口ひげなどを書き込んで空き箱の先端にその顔を貼り、後ろには尻尾のようなものを貼り付けて「猫バスだ!」と歓声をあげた子もいました。
誰もが一度は観た、あの有名なアニメに登場する不思議な乗り物ですね。

また二つの空き箱を重ねて二階建ての車をつくる子もいれば、本物の建設重機のように空き箱の上に操縦積を設けた作業車も登場しました。どれもが、ふたつとないオリジナルの車の誕生です。
最後に、車体の底に50~70cmほどの長さに切ったすずらんテープを貼って、それを手で引いて歩けばそれぞれの車は子どもたちの後ろから勝手について走り出します。
どの子も、まるで仔犬でも散歩に連れ出しているかのように、自分の車を引きながらホール中を歩き回ったり、走り出したり。
誰もが楽しそうに車を引っ張って動き回るので、床だけ見ていると、まるで本物の車がにぎやかに街のなかを走り回っているように見えました。

芸術は確かな手仕事や鍛錬された技術、歴史的な見解などを積んだ上で成るもの

私がちょうど今の年中・年長クラスの子どもたちと同年齢の頃のことです。
初めは平面(用紙や地面)に絵を描いて楽しんでいましたが、次第に平面から立体へと興味が移りました。
もし自分の描いた絵が立ち上ったら、もしそれが動き出したら、と想像はどんどん膨らんでいきました。
小学校に入学すると、「図画・工作」といった(でしょうか)、いわゆる「美術」のカリキュラムがあり、そのなかで念願だった平面から立体へ、そしてそれを動かすという学習内容が組まれていました。
それはいたって単純な仕掛けでしたが、子どもだった私にとっては喜びと共に大きな飛躍に感じました。
そうした些細な体験が、後に〈アート〉への入り口になったことを自覚するまでには多少の時間を有しましたが、今回のワークショップも子どもたちにとってはそんな体験のひとつになると思います。

今回の創作について、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生に話を訊きました。
前回(8月)は、構築物の仕組みについて考えるワークショップでした。今回はその流れを汲んで〝動く〟という仕組みについて体験してもらいました。
とはいえ、ただ漠然としたテーマではやりようがないので、どの子もごく身近なものとして頭に描きやすいものは何かと探したら、単純に車の〝タイヤ〟に思い至り、それを自らつくるということで自然にその仕組みを考えることができたら、と。
でも、意外とこれが大変な作業になってしまいました。タイヤを4本つくるだけで、ワークショップの大半の時間を費やしましたから。でも、どの子も一生懸命タイヤづくりに向き合っていました。
そのことがワークショップ終わりの短い時間に表れていましたね。
どの子も完成した車をホール中に走らせて大さわぎしていたでしょ、タイヤづくりにある種緊張感があって、それが完成したと同時に張り詰めていたものが爆発したというか、解放感いっぱいにあのような光景になったのかな、って。

そう考えると、子どもたちにとってはタイヤづくりに費やした時間はとても良かったんじゃないのかな。
また、時間をかけて取り組んだモノには、それなりに特別な愛着というか、自分のモノという自覚が強く芽生えるのでしょうね、帰り際にどの子も大事に抱きかかえて部屋を出ていきました。廊下に出て、それを走らせながら帰った子もいましたけど(笑)

確かに、残されたほんのわずかな時間に、男子女子関わらず、自分の車を思いっきり引っ張りまわして走っていました。このデジタル全盛の時代に、こんなアナログ的な工作物であれだけはしゃぎ、夢中で走り回れるとは思いもしなかったことです。

先生は続けてこんな話をしました。
「〈アート〉というと描く、観るということとは別に、昨今では大きくて派手で茫漠とした捉えどころのない奇抜なもの、あるいは一過性のイベント的なものだと理解している風潮も一部であるような気がします。
もちろん、さまざまな捉え方があっていいのですが、私としては、本来〈アート〉、いわゆる芸術は確かな手仕事や鍛錬された技術、歴史的な見解など多くを積んだ上で成るものだと考えています。
でき得る限りたくさんのものの仕組みを知ること、教えてもらってわかることや自らやってみてわかる手技などから、初めて次の表現に発展していけるように思います。
だから、地味でシンプルなことであっても、しっかり手仕事として身に付けていくことが大事ではないでしょうか。なので、今回はなぜ〝タイヤづくり〟なのか、と問われても明確な答えは出せませんが、〈アート〉というものに関わらず、生きていく上で、いつか何かのヒントになるといいなという思いもあります」
今回も、とてもユニークな〈アート〉へのアプローチだったような気がします。そして、明らかにその本質に少し近づけたようにも感じました。

最後にまた私の私見で恐縮ですが、先生の「手仕事」という言葉を聞いていると、どうしても〈民藝運動(1926年)〉を起こした宗教哲学者・思想家であり美術評論家の柳 宗悦(やなぎむねよし/1889 – 1961年)を想い出します。
直接今回のワークショップとは結びつかないということは重々承知の上ですが、子どもたちがこつこつと竹串に段ボールを巻き付けている姿は、どこか職人が黙々と竹を編むような、または土をこねるような、そんな光景と重なって見えました。
長い年月をかけてこしらえてきた〈民藝〉品も、立派な〈アート〉であるというのは自明のことです。
棚に眠っていた柳 宗悦の著書を繰っていたら、こんな言葉が目に留まりました。
「手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。手より更に神秘な機械があるでしょうか」

written by OSAMU TAKAYANAGI

8/30 子どもとアートの未来~保育園美術館プロジェクトのこれまでとこれから~

2025年8月16日 土曜日投稿

8/30(土)に武蔵野美術大学とあおぞら保育園で行っている「保育園美術館」のフォーラムが開催されます。
会場が市ヶ谷と遠いので行くのは大変だと思いますがでしょうが、興味がある方はぜひご参加ください。

【にじいろWS 2025-08月】粘土の立体構築

2025年8月14日 木曜日投稿

〈アート〉と〈建築〉の一体化された関係性を知るきっかけに

いま国内外で注目される話題を挙げるなら、「2025年大阪・関西万博」でしょうか。
正式名称は「2025年日本国際博覧会」で、本年4月から10月まで184日間にわたり大阪府・夢洲(ゆめしま)で開催されています。
個人的には行く予定はないですし、さほど行きたいという気持ちもないのですが、強いて気になるといえば各パビリオンのアート性や個性的な建築群のことです。
例えば、当万博のシンボルとしても話題になっている、会場をぐるりと取り囲んだ建築物「大屋根リング」。
設計は世界的な建築家藤本壮介です。会場のデザインプロデューサーも務め、今年3月にはそれが〈最大の木造建築物〉としてギネス世界記録に認定されました。
映像でしか知りませんが、その景観の美しさ、迫力、そして日本独自の木造建築のすばらしさは圧巻です。

そういえば55年前にアジア初、日本でも最初の国際博覧会となった「大阪万博(略称)」でも、建築家丹下健三設計の「お祭り広場」やその屋根部分をぶち抜いた画家岡本太郎の「太陽の塔」という建造物は注目度も高く、未だに語り継がれています。
やはり丹下健三(1913- 2005年)は万博会場の総合設計を担う総合プロデューサーを務め、岡本太郎(1911-1996年)はテーマ館の総合プロデューサーでした。
ほかにも黒川紀章や菊竹清訓といった世界的にも名を馳せた建築家たちが参加していたようです。
開催当時、私はまだ子どもだったので、残念ながらリアルタイムでの万博体験はありません。
しかしその後、2005年に愛知県で開催された「愛知万博(愛・地球博)」には、仕事で開幕前の敷地内を訪れる機会があり、すでに評判の高かったアート的展示や建築物を身近に観ることができました。そのときに受けた刺激はいまも鮮烈に残っています。

さて、今回のワークショップは、アートとしての立体構築でありながら、上述したような独自性の高い建築物を想起させます。敢えて意識させることはないですが、〈アート〉と〈建築〉の一体化された関係性を知るきっかけになればいいな、と思います。

粘土をジョイントに、割りばしをつなぐ、支える、そして構築させる

今回のテーマについて、にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生にその意図を訊きました。
「前回は〈考えることを放棄することで、自然に動き出す身体〉を感じることが目的でしたが、今回はその真逆で〈考えることからはじめて、それを身体で表現する〉ことを目的としています」
と端的に答え、さらに続けて創作内容についても言及しました。
「完成形として目指すのは立体物です。でも、ひとつの塊を創出するというのではなく、基本とする同質・同形の1本の棒を幾本も縦横につなげる、立たせる、ときに交差させるなどして棒状の素材を使って体形をつくり上げるというものです。従って、構築された作品の空間にはなにもありません。
具体的な素材としては、基本とする1本の棒を割りばしとしました。ほかに色違いのモールやストローといった軽いものも用意しています。
そして肝心な素材、つまりそれらをつなぎ止める、いわばジョイント(結合)の役割として粘土を用います。ただし、あくまで素材のひとつですから、特別な粘土ではなく日常子どもたちが園で使っているものです。
また立体をつくるので、当然立たせるということが重要なので、そのための土台も粘土が担います」
これだけ聞いても、実際の制作を見ないことには理解できそうにないので、早速ワークショップへ移りましょう。

何度も考え、失敗し、それを繰り返すことでしか課題は克服できません

年中・年長クラスの子どもたちは、園で使用する各人の粘土箱を用意していつものホールへ。
先生は、何人かの子どもの粘土箱を開けて、日頃どんなものをつくっているのか確かめるように覗きこんでは、
「○○くんの粘土箱には、こんなものがあるよ」と言っては、それをつまみ上げてホメたり、おもしろがったり。そう、まずはいつものようにみんなの気持ちを和ませます。

ひと通りそうしたやり取りを交わしたところで、急に先生はこう宣言しました。
「今日は、いま見たような粘土はつくりません!」
そして先生は、あらかじめ用意した直径2~3cmほどの団子状(球体)にまるめた粘土を手に取り、
「いまからみんなにこれと同じようなものを10個つくってもらいます」
と言いましたが、一瞬沈黙したもののすぐに「そんなの簡単だよ!」と誰ともなく発すると、一斉に先生の示したものと同じ団子状(球体)のものをつくりはじめました。
どの子もそれこそ慣れた手つきで、自分の粘土板の上に10個の団子状(球体)にした粘土を並べていきました。
それが終了すると、先生はホール内に用意した別のテーブルに子どもたちを集めました。

先生は1本の割りばしを手で押さえながらテーブルの上に立たせると、「ここに割りばしを立たせたいのだけれど」と言い、素早くその手を離しました。当然手の支えを失った割りばしはすぐに倒れます。それは何度やっても同じこと。子どもたちもその様子を少々呆れ顔で見ていました。
すると先生は、先にまるめて用意しておいた団子状(球体)の粘土を1個取り出してテーブルに置き、その真上に割りばしの根本を差し込みました。
なんと、今度は手を離しても割りばしはテーブルの上に立った状態でしっかり固定されました。
子どもたちからは「ヤッター!」「スゴイ!」と言った声が上がりました。

先生はさらにもう1本割りばしを出して、今度は先に立てた割りばしの頭に継ぎ足そうとしましたが、これもこのままでは無理だとわかります。なので、別の団子状(球体)の粘土を手にして、先に立てた割りばしの頭に差し込み、その上からもう1本の割りばしをさらに差し込んでみました。
なんとその瞬間、頭に差した団子状の粘土がもう1本の割りばしをつなげてくれました。これで2本の割りばしは、背の高い柱のようにまっすぐひとつになってそこに立つことができました。
それから3本目の割りばしを増やしました。でも、ただ上に継ぎ足しても重くて倒れてしまうので、割りばしを横に向けたのですが、やはりうまく立たちません。そこで、もう1本それを支えるための割りばしを斜めに置いてみました。それを固定するのにまたひとつ団子状(球体)の粘土も増やしました。
そんなふうに割りばしが増えるたびに団子状(球体)の粘土も増えていきましたが、上手にそれらを組み合わせれば、うまく立つことに気づきました。そして、そのやり方次第で、構築される形もさまざまに変化していくことも知りました。

単純で簡単そうに見えますが、ただの思いつきだけでは容易に立ち上りません。思い描く形にするためには、素材である割りばしの組み方やつなぎ方を最初にしっかり考える必要があります。
何度も考え、何度も失敗し、また何度も繰り返していくことでしか今回の課題を克服する方法はなさそうです。そんなふうに案じている間にも、子どもたちは積極的にその難題に挑んでいきました。

そうしたなかから、幾何学的で複雑な模様を創出した作品、恐竜の骨組のような形の作品、とにかく高く高くと上を目指してスカイツリーのような形を構築した作品、公園の遊具から遊園地の大きな遊具までを想定した動く立体物などなど、今回もさまざまな作品に出会うことができました。
それらは年中・年長クラス共に、ワークショップ終わりに全員の作品をホールの端に並べて鑑賞しました。
また、2クラス全員の作品をひとつに合わせて、エントランスホールの図書スペース前に展示しました。

シンプルな素材のみでそこに立たせて存在させていること自体、実はすごいこと

子どもたちの作品をみていると、建築構造の立体モデルのように見えてきます。もっとも、私は建築に関しては門外漢なので、あくまでもこれは私個人のイメージです。
街中で建設中の建物をみると、鉄骨や木材の梁や柱がむき出しになって構築されている姿をよく見かけます。この骨組の部分こそが、建築物を支える重要なところです。
昔はビルといえば積み木のような四角柱ばかりでしたが、冒頭で紹介した万博の建物もそうですが、近年は街中にある普通のビルのフォルムも、かつての概念を覆すほど独特なものが増えました。

個人的な話ですが、学生のころに雑誌で建築家フランク・ロイド・ライト設計の「グッゲンハイム美術館」の外観を見たとき、その芸術性の高さに驚いたのを覚えています。日本ではきっと、ここまでの建造物はできないのだろうとも思いました。

でも、それから徐々に日本でも新しい大型の建築物が目立つようになり、美術館の例でいえば、建築家黒川紀章の設計した「国立新美術館」の誕生には感心しました。あの独特なフォルムを目の当たりにしたとき「グッゲンハイム美術館」で受けたときと同じ感覚が甦りました。いまでも展覧会を観によく足を運びまずが、何度訪れてもあの外観や館内には魅せられます。

今回子どもたちの作品づくりを見ていて、画期的で独特なフォルムを構築している建築物ほど、実は究極のバランスを保ち、決して倒れることのないように計算(考え)し尽くして建っているのだな、とつくづく思います。

あらためてエントランスホールに展示した作品を眺め、松澤先生はこんな感想をもらしました。
「とにかく深く考えないと成り立たない作品づくりでしたが、こうしてみるとよく立体として、文字通り構築させたと思います。だいぶ苦労していた子もいたけれど、誰ひとりとしてあきらめずに、それぞれが独特の感性でおもしろい作品に仕上げてくれました。なにより、このシンプルな素材のみでそこに立たせて存在させていること自体、実はすごいことなのですから」

また、先生から粘土についてこんな話を聞きました。
「粘土は、ひとの感情、つまり心の問題と関わることにおいて心理的効果のある素材といわれています。
心を扱う専門分野では、〈粘土のもたらす効果〉を研究対象にしている先生も居るくらいですから。
難しい話はさて置き・・・
粘土って、その柔らかな感触が癒しになることもあれば、力任せに千切る、潰す、差す、などの暴力的な行為も引き受ける。またアーチストにとっては自己表現の道具となり得る。
そう考えると、人間の持つあらゆる感情に対応できる素材ってほかにはないでしょ。
今回も子どもたちの考えを具現化するために、つなぐ、支える、立たせるといった重要な役割をすべて粘土が担っていました。それも子どもたちの意のままにカタチを変えて。
だから、粘土のもたらす効果はほんとうに絶大だと思います」

そしてその話の締めに何気なく付け加えられた言葉が、いまの私に最も有効な助言となりました。
「おとなの粘土あそびは、〈脳の老化防止〉にイイらしいですよ」

written by OSAMU TAKAYANAGI

【にじいろWS 2025-07月】大きな絵~壁紙を利用して

2025年8月5日 火曜日投稿

「壁紙」を支持体に、子どもたち全員で仕上げる「大きな絵」

こんな話をご存知でしょうか。
ときは室町時代、いまの岡山県総社市にある宝福寺というお寺での出来事です。
禅僧を志すある少年がそこで修行をしていました。ところが少年は幼い頃から絵を描くことが大好きで、修行の最中でも絵を描くことをやめません。それを見かねた住職は、ある日少年を柱に縛りつけます。その夜、住職が様子を見に行くと、少年の足元に大きなねずみがいるので、あわててそのねずみを追い払おうとしました。
ところがねずみはまったく逃げて行かないので、目を凝らしてよく見るとそれは本物のねずみではなく、少年が床に流した涙を使い、足の指先で描いた絵だったのです。住職はそのあまりにも見事な絵の出来栄えに感心し、それ以来絵を描くことをとがめず、むしろ少年の絵の才能を認めるようになりました。
その少年こそ、後に水墨画家として名を馳せる雪舟(1420~1506年)です。

これはもちろん、才能ある人物ゆえに伝承された逸話のひとつです。
私はこの話しを小学生のころに知って、足の指でも絵を描けるのか、といたく感心したのを覚えています。それを真似て、足の指を水に濡らして自宅の廊下に絵を描いたこともありましたが、それを見ていた母親からは認められるどころか、ひどく叱られました。
今回のワークショップで子どもたちの様子を見ていたら、急に雪舟(少年)の話を想い出しました。

さて、今回のテーマ「大きな絵」ですが、これは個々が大きく描くのではなく、全員の力を合わせて大きな絵を仕上げます。
そして、もうひとつテーマに掲げた「壁紙」ですが、これは支持体(=絵の具を塗るキャンバスや紙など)として使います。当園のワークショップでは初めて使用する素材ですから、きっと今までにない感触や仕上がり具合を体験することになるでしょう。

具体的なモチーフはなし、筆は持たず、小さなスポンジで描く!?

当園の室内を区切る壁を見て回ると、その部屋、その空間に合わせた美しい壁紙に目が留まります。
今回はその壁紙を利用してのワークショップです。
実際の建築時に採用した壁紙はいまでも園で大切に保管されていますが、その一部をワークショップのために提供しました。

にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、壁紙についてこう話してくれました。
「壁紙という特別な素材を得たので、今回はそれを主役に据えて何ができるのかということを考えました。
これは一般的に建築資材として使用されるビニールクロスなので、それでは防汚機能や耐水機能に優れている、つまり強度のあるクラフト紙などより手荒く扱っても、水を多めに含んでも大丈夫だということです。
また一辺がある程度の高さ(長さ)を持っていて、その横巾(長さ)はといえば部屋一面に伸ばせるほどでした。
まるで絵巻物を大きくしたような・・・だったらいっそのこと絵巻物のように長い一本の支持体として利用したらどうだろうか。これなら子どもたち全員がひとつの支持体に向かって描けば、ひとつの大きな絵を制作することができる、って。
それに、私個人でいえば、これまで絵を描く支持体として壁紙を使うという発想はなかったので、そのこと自体に興味が湧きました。
そうそう、当初は表面の色や柄を活かそうと思ったのですが、それだとどうしても既にある色柄に引っ張られてしまい、表現する自由さや発想に制限がかかるんじゃないかと。なので、裏返してみたら、当然どの壁紙も色や柄など無く、画用紙のように真白ではないですが無地なんですね。これなら子どもたちが色や柄にしばられず、自由な発想で絵を描けるなと思い、今回は綺麗に仕上がっている表側は捨てました(笑)」
先生自身もこの新しい試みを楽しみにしている様子でした。
では、そこになにを描いていくのか、続けて先生に尋ねると、
「具体的に描くモチーフやテーマはありません。画材は絵の具を使いますが筆は使いません。まあ、筆代わりといえば、市販されているメラニンスポンジを1~2cm角に切ったサイコロ状のもの1個です」
なんとも雲をつかむような答えが返ってきました。
この巾のある長い壁紙の裏側を使って、いったいどんな描き方をして、どんな絵を創作するのでしょうか。
前置きはこれくらいにして、早速ワークショップをはじめます。

押す、こする、踏みつける、そこに表れた色彩と模様はなんとも不思議でおもしろい

年中・年長クラスの子どもたち共に、最初はこの新しいふたつ(壁紙・スポンジ)の素材がからだや気持ちに馴染むように、遊びの時間からはじまりました。
大きくて長い壁紙の上を走ったり、寝そべったり、またサイコロ状のスポンジをみんなで一斉に空中へ放り投げたり。どうやらワークショップの時間だということを忘れてしまったようですが、本番はこれからですよ。

子どもたちは、ホールの中央に置かれた帯状に長くまっすぐ伸びた壁紙を挟むように並んで座りました。

先生はそんな子どもたちの前で、先のサイコロ状のスポンジを1個指でつまむと、あらかじめ用意しておいた黄色絵の具が溶かされたお皿に、そのスポンジの底面をゆっくり浸しました。
ほどよく絵の具が染み込んだのを確認すると、そのままスポンジを目の前の壁紙に軽く押し当てました。
すると、そこにはスタンプのように四角形の印が付きました。それを何度か繰り返すと、同じ四角形の印がどんどんつながったり重なり合ったりして、気づくとさまざまな形の模様ができました。
また赤色、青色、緑色と次々に色を変えていくと、カラフルな花が咲き乱れたようにも見えました。

そこから先生は、そのスポンジをただ押していくだけでなく、スポンジに絵の具をたっぷりふくませて、空中から壁紙に向かってぽたぽたと絵の具がしたたり落ちるまで絞りました。するとそれらは、壁紙の上で踊るように跳ねながら散っていきます。そこにはまたさっきとはまったく違う模様が描かれていきました。
そのうち子どもたちは誰に言われるでもなくスポンジを手放して、自分の両手で壁紙の上をこすりはじめました。
それがエスカレートし、自分の手のひらを直接絵の具の溶き皿に浸して、そのまま壁紙に押しだして大はしゃぎ。
先生もそれに乗じて、絵の具をたっぷりふくんだスポンジをそのまま壁紙の上に置くよう子どもたちにいい、「せーのっ!」というかけ声とともに力いっぱい足の裏でそれを何度も何度も踏みつけました。
とうとう壁紙の表面は何色もの絵の具が混じり合い、足や手でこすったり踏みつけたりでぐちゃぐちゃになっていました。
でも、その壁紙に表れた色彩や模様は、今まで見たことも、想像したこともない何とも不思議でおもしろいものでした。

子どもたちの「知」を眠らせて、「動」から描くことを教えたかった

今回のワークショップの原点にあるのは、1940年代後半から1960年代にニューヨークを中心に欧米で広がった「アクション・ペインティング(Action painting)」です。
それまでの絵画のように具体的な対象(モチーフ)を描いた作品ではなく、絵を描くという行為、行動それ自体が〈アート〉としてそこに表現されているという考え方です。その技法は、今回ワークショップでおこなったように大きなキャンバスに絵の具をたらしたり飛び散らせたり、手足などでなぐり付けたりという衝動から生まれる行動(アクション)を採り入れたものが含まれます。
最も代表的な画家として世界的に有名なのは、アメリカ人のジャクソン・ポロック(Jackson Pollock/1912~1956年)です。

日本を代表するなら、松澤先生も話していましたが、抽象画家・白髪一雄(しらがみかずお/1924~2008年)でしょう。天井から吊ったロープにぶら下がりながら、走るように足で描くという独特な「フットペインティング」という技法を生み出しました。

私は以前、やはり日本の現代美術家・篠原有司男(しのはらうしお/1932年~)の作品を見たことがあります。
彼の技法は「ボクシングペインティング」と言って、グローブに絵の具をつけてキャンバスなどにパンチを繰り返して描くというものです。90歳を越えたいまも、現役のアーチストとしてアメリカで活躍しています。
いずれのスタイルも、ある意味偶発的に生み出される〈アート〉ということでしょうか。機会があれば、「アクション・ペインティング」とはどのようなものか、一度彼らの作品を見てみたら、案外ハマるかもしれません。

「やはり支持体が今回の主役でしたね。同じことをいつもの画用紙やクラフト紙で行っていたら、すぐに破けて、作品どころかどうにもならないまま終わっていたでしょう。子どもたちも、あの表面のツルツルした感触や紙と違った絵の具の乗り具合など初めての体験でしたから、それだけでも得たものは大きいと思います」
松澤先生はこう切り出して、今回のワークショップについて話し出しました。
「今回は筆を使わなかったことで、いわば〝描く〟という思考を止めました。
筆の代わりに、これも今まで使用したことのなかった小さなスポンジを1個与えて、一応使い方の例は示しましたが、それでもこれで絵を描くの?と思ったはずです。そこでこどもたちはスポンジを強く押し当てたり、しぼったりすることに夢中になっていきますが、それではもの足りなくて、結局手のひらや足を使い出しました。実はそれが狙いで、先に述べたように思考(知)を止めることで、自然に湧き出すからだの動きを引き出したかったのです」

ここまで聞いても要領を得ない私に、先生はさらに続けてわかりやすい説明をしてくれました。
「幼児が最初に絵を描くという行為は、当たり前ですがものを考えたり、自分の感情を表現するためではありませんよね。例えば、テーブルにこぼした水を指先や手のひらでひろげたり、こすったりしているうちにその感触がおもしろいとか、その痕跡に惹かれるとか。それがクレヨンや絵の具であっても同様の動作を行い、徐々に無意識のうちに絵を描くことを覚えていきます。なので、その行為を4歳~5歳の子どもたちに蘇えらせると果たしてどんな作品を描くのか、また子どもたちの感性をどのように刺激するのか。
せっかく〈アート〉を主体にしたワークショップですから、いわゆる〝お絵描きあそび〟ではない、そんな特別な、原点回帰のような体験をさせたかったということです」

完成した絵に意味を持たせるのではなく、その過程(衝動)から〈アート〉表現をする「アクション・ペインティング」ということが今回の根底にありましたが、ようやくその真意を理解できた気がしました。
その後、先生は子どもたちの作品を手に園庭へ出て、外通路や外階段を支える2本の柱にそれを巻き付けました。
その光景を眺めていると、ポロックや白髪に劣らぬ〈アート〉作品に見えてくるから、なんとも不思議です。

written by OSAMU TAKAYANAGI