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【にじいろWS 2025-06月】魚釣りに出かけよう

2025年7月1日 火曜日投稿

定着した季節のイメージより、ポジティブな6月にしたい

《梅雨なのに、猛暑?》
最近、こんなニュースの見出しばかりが目立ちます。それでも、あまり驚くことも関心を抱くこともありません。おそらく、「今年も、か」といったある種の慣れとあきらめの思いがあるからでしょう。
6月某日、ワークショップへ参加するために当園へ向かったある朝のことです。その日も梅雨特有の湿気で蒸し暑く、まるで見出しの惹句をそのまま取り込んだような気分でした。
ところが園の敷地内へ入るとすぐ、見事に咲き誇った紫陽花が目に留まり、その瞬間、なんとも涼やかな気持ちに包まれました。「これって、いわゆる自然が持つ癒しの効果ってやつかな」なんてひとり呟きながらしばらく見入っていました。

そこでふと想い出したのが、昨年、一昨年と続けて6月のにじいろワークショップのモチーフが〝紫陽花〟だったことです。確かにこの時期を象徴する、誰もが知っている花ですからね。

ところが一転して、ことし6月のテーマは表題に示した通り『魚釣りに出かけよう』です。
当然モチーフは〝魚〟ということになります。それも川釣り・渓流釣りをイメージしているとのことなので、具体的にはアユ・ヤマメ・イワナ・ニジマスといったところです。ことしはもう季節的なことを意識しないということでしょうか。
本題に入る前に、この意表を突くテーマの真意やなぜ釣り場を川に限定したのか、などなど当ワークショップを企画・指導する松澤先生に訊きました。
「どうしても6月=雨、紫陽花という定着したイメージが根強くあります。いずれも静かで、それなりに落ち着いた雰囲気だし、季節感を出すには最適なモチーフです。でも悪くいえばネガティブにとらえがちですよね。
そこで、いっそそのイメージを払拭して、6月にポジティブなイメージを持てないかな、と考えるようになっていろいろ探ってみたら、園から青梅線を挟んで反対側に在る多摩川ではアユ釣りが盛んだと知りました。
しかも6月はちょうどアユ釣りの解禁日。その日を待ちわびた多くの釣り人たちが、早朝から一斉に多摩川へ出かけて行くっていうでしょ、この梅雨時にわざわざ外へ向かってですよ。それこそポジティブじゃなければできないことですよね。そうした釣り人たちのことを想像していたら一気にこの企画にたどり着いて。
それに、いつものホールで釣りができるなんて面白いし、子どもたちも驚くでしょう」
先生は嬉しそうに答えてくれました。

ホールに多摩川が流れると、川べりは小さな釣り師たちで大にぎわい

当園から多摩川を目指してほぼ最短距離で行った辺りに、「羽村取水堰(しゅすいせき)」という堰があります。
この周辺には小魚も多く生息しているようで、釣りを楽しむ方ならご存知かと思います。

毎年6月にアユ釣りが解禁になると、ちょうどこの羽村取水堰から上流の小作取水堰までの区間(羽村エリア)が釣り場になるようです。
調べたら、なんと江戸時代には、多摩川で獲れたアユを江戸幕府に献上していたといいます。これよりもっと下流でのことですが。
またこの「羽村取水堰」が建造されたのも1653(承応2)年、4代将軍徳川家綱の時代だそうです。歴史には疎いのでこれくらいにしておきますが、意外に羽村(市)は歴史のある土地のようですね。
前置きはこれくらいにして、では早速、6月のにじいろワークショップへ話しを進めましょう。

いつものように準備開始です。
まず先生は、大きなブルーシートを一旦広げると、それを丸め込んだりよじらせたりしながら一本の太くて長い柱のような立体物をつくりました。そうしたブルーシートのかたまりを数本つくって1本につなげ、そのかたまりを、ところどころ緩やかなカーブや急なカーブをもたせながらホールの端から端へと敷きました。

そんな光景を眺めているうちに、だんだん1本の太い、うねる大河のように見えてきました。
そうです、気がついたら、いつものホールに〈多摩川〉が流れ出していたのです。

次に、先生や保育士たちで〈釣り具〉づくりの準備を始めました。

竿は割りばし(そのまま割らず)を使用します。糸はタコ糸で、針はクリップです。
最初に割りばしの先端にタコ糸を結びテープで留めます。そのタコ糸の端にクリップを結びます。クリップの先端は少し外側へ曲げておきます。これが今回釣りをするための仕掛けになります。

いよいよ肝心な〈魚〉づくりですが、これは大小さまざまな封筒を活用します。少し封筒をふくらませ、封入口から封の閉じた部分までゆっくり手を差し込みます。
その手の親指を封筒の閉じた部分の角へ、残りの指でもうひとつの角へ置き、指先で封筒の角と角をつぶすようにつまみます。

つまんだり、離したりを繰り返すと、封筒の閉じた部分が魚の口のようにパクパク動き出します。これで魚の頭ができました。そのとき口の部分に輪ゴムを1本テープで留めておきます。この輪ゴムに、先のクリップを引っかけて釣り上げるということです。

それから古新聞を丸めてその封筒の中に詰めます。これで魚のふっくらお腹の出来上がりです。

最後に封入口部分よりやや下の方をきゅっとつぼめて、中身が外へ出ないように輪ゴムで止めます。この輪ゴムで止めた外の部分が尾びれです。

魚のかたちが出来上がったら、目(シール)を貼り、背びれ・胸びれを付け、からだはクレヨンなどで色(うろこなど)をつけて、それぞれ自分だけの魚に仕上げます。

年中クラスの子どもたちは、竿(糸や針)を保育士に手伝ってもらいながらつくりました。年長クラスの子どもたちはもちろん自分の力で。魚は年中・年長共に子どもたち自身がつくりました。

そうして出来上がった魚は、そう、目の前に悠々と流れる〈多摩川〉に放流です!

子どもたちの目には、すでにここは多摩川沿いの河原にしか見えていないようです。なかには、そのずっと上流の渓流を目にしている子もいるでしょう。
子どもたちの手によってさまざまな魚が放流されたら、今度は釣り竿を片手に釣り師に早変わりです。

川の流れる音を聴き、川面に映る小魚たちの影を追い、静かに足を川べりに近づけて狙いを定めて素早く糸(針)をキャスト(投げ入れ)します。川の流れに合わせてその糸(針)が流れ、目指す魚がみごとにそれに食いついたらすかさず、かつ慌てずに釣り糸を巻き上げます。

どの子も自分の魚を目がけ、夢中で〈多摩川〉沿いを駆け巡っています。
なかには〈多摩川〉に滑り落ちる子や落ちる寸前で体勢を立て直す子など・・・川沿いは解禁日なのでしょうか、小さな釣り師たちで大にぎわいです。
先生がそんな子どもたちに声をかけました。
「気をつけてね、〈多摩川〉に落ちたら、海まで流されちゃうよ!」

子どもたちには、もっと地元の自然を知って、気づいて、大切にして欲しい

アメリカ・モンタナ州ミズーラの雄大な自然を背景に、川のせせらぎを聴きながら、黙々とフライ・フィッシングをする父とふたりの子ども。言葉はなくとも、そこにあるのは家族の小さな物語と確かな絆です。
幾度も物語に登場するこの釣りのシーンは、何度観直しても胸を熱くします。
これは、今から30年も前の映画『A River Runs Through It』(1992年・アメリカ)です。名優R・レッドフォードが監督し、人気俳優ブラッド・ピットが主演しました。

物語の内容はさて置き、ここに映るフライ・フィッシングの映像美は観るたびに格別な味わいをもたらしてくれます。映画の邦題は英文と同じで、訳せば〝川は流れ続ける〟という意味です。
ちょうどこの頃、私自身も釣りにハマり、さまざまな釣りを体験しましたが、結局釣果を競うより、自然のなかで無為な時間を過ごすことに深い意味があったように思います。
釣りの名言でこんな言葉があります。
「釣れない時は魚が〝考える〟時間を与えてくれたと思えばいい」

さて、紹介が遅れましたが、今回のワークショップには松澤先生の友人がお手伝いに来てくれました。
保育者でもあり、造形の専門家でもある田口理恵先生です。
「今回初めて松澤先生のワークショップに参加したのですが、子どもたちも先生のお話しをよく聞いているし、どの子も真剣に臨んでいるのには感心しました。
また、園の保育士たちは子どもたちのことはもちろんですが、松澤先生のこともよくわかっていて、細かな指示や説明がなくても皆さん率先して動いていて・・・それだからこそ、こうして素晴らしい時間が持てるんだなぁ、と思いました。
みんなでつくり上げているワークショップ、まさにワンチームというのを感じて、私自身有意義な時間でした」
田口先生はそんな感想を語ってくれました。

松澤先生はそれに応えるように
「造形は実践経験がモノをいう世界なので、田口先生のような造形のプロが側でサポートしてくれると本当に安心できます。特にここでの造形は、本来の意味そのままに〝形あるものをつくりだす〟ことを心がけているので、対象が子どもであるとか、時間的、物理的なことを理由に平面的な仕上がりも良しとするようなことは避けたいと思っているので、こうして相談できる方が一緒に居てくれると心強いです」
と本音を覗かせながら話しをつなぎました。

これまでも地元ならではの自然をテーマやモチーフに採り入れたワークショップを展開してきました。それだけこの羽村市には自然がいっぱい在るということです。今回もまた、ここで育った子どもたちに、その価値を知って欲しい、気づいて欲しい、そして大事にして欲しいという願いがあってこそのテーマだったといえます。
しかし、本来それを学ぶべきは私たちおとなかもしれません。未来ある子どもたちのために、おとながもっと真剣に考えないといけない。地球自体が自然のかたまりですからね、放置していればいずれ枯渇してしまう。

そういえば、時おり自然環境の話しになると、先生は以前このワークショップでも話題にしていたレイチェル・カーソンの著作を指してこう言います。
「自然を考えるなら、やっぱり『センス・オブ・ワンダー』が基本かな(笑)」
ハイ先生、早速再読します!

written by OSAMU TAKAYANAGI

【羽村市】はむらミライ!トークカフェ

2025年6月17日 火曜日投稿

子育てをしている方を対象とした「はむらミライ!トークカフェ」を開催します。
日々の育児や仕事に一息つきながら、
あなたのアイデアで羽村市の未来が変わります。
「こんなまちになったら、もっと子育てしやすいのに」など、あなたの想いを、リラックスしながら語り合いませんか?
羽村の未来、子供たちの未来のために、あなたの声を聞かせてください!

🌲 日時:6月28日(土)午前10時30分〜正午
🌲 場所:プリモホールゆとろぎ レセプションホール
🌲 参加費:無料
🌲 その他:お子様の一時保育スペースあり!安心して参加いただけます。

気軽に参加OK!おしゃべり感覚で羽村の未来を一緒に描きましょう!

詳細・申込はこちら
https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000019574.html

【にじいろWS 2025-05月】5月の太陽の光とさわやかな風とあそぶ

2025年5月25日 日曜日投稿

この季節の光と風を、からだとこころで思いっきり味わい尽くそう!

自然はなんとすばらしく 輝いていることだろう!
太陽がきらめく! 野原は笑う!
どの枝からも 花々が飛び出し 灌木の茂みからは 千もの歌声が響いてくる
そしてどの胸からも 歓喜と至福があふれてくる
大地よ 太陽よ! 幸福よ 愉悦よ!

これは、ドイツの作家ゲーテ(1749~1832年)が著わした『五月の祭(飯吉光夫訳)』という詩の一節です。
これを読んだとき、少し不思議な気がしました。なぜなら、5月という季節への賛美は、四季を明確に区別できる日本人特有の感じ方だと勝手に思い込んでいたからです。
でも調べてみたら、日本ほどはっきりとした四季の区別はないまでも、ゲーテの居たドイツ然り、世界のいたるところに四季という概念はありました。
そういえば、昔よく聴いたシャンソンのなかに『5月のパリが好き』という歌があったのを想い出しました。
歌手で俳優のシャルル・アズナヴールが、1956年に発表した歌です。
久しぶりにその曲を聴きながら歌詞の日本語訳を見たら、〝私は5月のパリが好き〟とはじまって、ゲーテの詩のように〝新芽が生まれ、古都パリの街が輝き、古い屋根にも太陽の光が差し込む〟といった5月の美しい情景が綴られていました。
ちなみにフランスは温暖な気候を持つ国ですが、やはり四季の移ろいを明確に感じるそうです。
その季節をどう受け止めるかということは、どこの国に居ようとも、要は人それぞれの感受性の問題なのかもしれません。

さて、5月のにじいろワークショップのテーマは「5月の太陽の光とさわやかな風とあそぶ」です。
にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、今回のテーマについてこう話してくれました。
「5月の、まさにいまでしか体感できない光や風といった、この季節ならではの自然をからだとこころで思いっきり味わい尽くしてもらいたい。それがこのテーマの趣旨です」

屋外→屋内→屋外と移動しながら、カラーのポリ袋1枚で5月を体感

今回はテーマに沿って、屋外でのワークショップとなりました。
年中・年長クラス共に、最初は屋外(当園駐車場)に集合です。
ただし、今回は作品づくりのために一度いつものホール(園舎内)に入らなければなりません。
したがって、最初は屋外→次いで屋内→再び屋外へ、と慌ただしく移動することになりました。
限られた時間内に行ったり来たりと手間のかかる移動ですが、どうやら子どもたちにはそれさえも楽しみのようです。

早速ですが、今回の主役となる素材は、赤・青・黄・オレンジ・紫・緑・・・とカラフルな色のポリ袋のみです。
まず集まった屋外では、そのポリ袋を子どもたちひとり一人に配り、それぞれ自由に遊び回ることからはじまりました。
ポリ袋を両手につかみ、マントのように身にまとって走り出す子どもたち~そのまま風に乗って、大空に舞い上がりそうです。
なかにはファッショナブルに腰に巻きつけて、最新のモードを気どる子もいました。

それから頭上に力いっぱいそれを放り上げ、まるで生命を持った生き物のようにひらひらと宙を泳いでいくその姿を追いかけまわす大勢の子どもたち。
またポリ袋を太陽にかざして足元に視線を落とし、ポリ袋の色を光が透過して地面にその色を映し出すさまを眺めては歓喜する子どもたちも。
この日の気候は、まるで誰もが思い描く5月を象徴するかのように、降り注ぐ太陽の陽射しは寒からず暑からず、流れゆく風もすがすがしく、子どもたちの気持ちを盛り上げるのには充分すぎるものでした。

思い思いにひと通り遊んだ後は、一旦園舎のホールへ入り、子どもたちそれぞれが手にしたポリ袋を、ひとつの大きなシートになるようセロハンテープで貼り合わせていきます。
年中クラスの子どもたちは慣れない手つきながら、真剣にポリ袋を一枚一枚貼り付けていきました。
年長クラスお子どもたちはさすがに手慣れた様子で、一枚一枚をていねいに貼り合わせていきました。

その貼り合わせて仕上げた大きなポリ袋のシートを持って、さあ、最後にもう一度屋外に出ましょう。

大きなポリ袋のシートを光が覆いつくし、波打つ大海原が出現!?

仕上がったシートは想像以上に大きくて重く、ヨットの帆のように全面で風を受けて飛ばされそうになるので、広げるだけでも大変な労力が必要です。
そこで、子どもたち、保育士、先生も一緒に、全員の力を合わせてひとつのシートを広げました。

みんなで広げた大きなポリ袋のシートには太陽の陽射しが注がれ、光のかたまりがシート全面を覆い尽くしてしまったかのようにきらきらとまぶしく輝いています。
また流れる風にあおられて、波のように動き出す大きなシートを眺めていると、目の前に太陽光に照らされた大海原が現れたように感じます。
そして地面に目を移せば、透過された光に映るポリ袋の色彩があちらこちらにモザイク柄となって見えます。
どの色彩も風の動きに合わせて、ゆらゆらと踊っているかのようでした。

実は、年長クラスのシートは、年中クラスのつくったシートもつなぎ合わせていたので、2倍の大きさになっていました。だから、重さも2倍だったので持ち上げるのも大変でしたが、風にたなびくその波のような動きも、地面に映る色彩も2倍楽しんだということです。

ワークショップが終了したあと、当園の2階から駐車場に通じる外通路・外階段の途中にある遊具に大きなポリ袋のシートを飾りつけることにしました。
先生を先頭に、園長と主任保育士の三人はあれこれ悩みながらも、なんとか飾り付けに成功しました。
これなら、年中・年長クラスの子どもたち以外のたくさんの園児らが見て、触って、楽しめます。
それにこうしてみると、ちょっとしたインスタレーション体験も味わうことができて、いつもの園庭が美術館になったようです。

芸術において重要なファクターである「光と風」へのこだわり

松澤先生は、今回もそうですが、今までをふり返っても自然の「光と風」にこだわってきました。
その真意を直接先生に尋ねたことはありませんが、アートにとって「光と風」はもっとも重要であり、多くのアーチストは永い年月をかけてこのテーマに取り組んできたといっても過言ではないでしょう。

例えば今回のワークショップを通して真っ先に想起したのは、バロック絵画の巨匠・レンブラント(1606~1669年)のいくつかの作品と、それを裏付けした「光と影は、私の絵画の魂である」という言葉です。
また印象派の画家クロード・モネ(1840~1926年)も「光は私の最も重要な主題であり、私の絵のすべてを決定づけるものだ」と言って、数多くの作品を残しています。
つまり〝光〟は、過去現在に関わらず芸術(特に絵画)において非常に重要なファクターであるということです。

話しは逸れますが、寺院や教会などで古くから見られる「ステンドグラス」などは、建築的な要素が強いですが、あきらかに〝光〟による芸術です。太陽の陽射しが透過されて描かれたそれは、もはや美しいアートの領域です。
そう、今回子どもたちが体験したポリ袋の色が陽射しによって透過され、その色彩が地面に美しく映って見えたのはこの「ステンドグラス」と同じ原理です。

また〝風〟についても、先に名前を挙げたクロード・モネの「日傘をさす女性」という作品がありますが、明らかに絵の中に〝風〟を感じます。
と、ここでまったくの余談をひとつ・・・宮崎駿のジブリ作品『風立ちぬ』(2013年)のなかで、ヒロイン菜穂子がイーゼルを立てカンバスに向かって絵を画いている場面があるのですが、これを観た時、全体の構図といい、雰囲気といい、このイメージはモネの「日傘をさす女性」に触発されたのでは?と思ったのですが、真相は知る由もありません。

話しを戻しますが、この〝風〟が顕著に描かれている作品はなにも西洋画ばかりではありません。日本を代表する浮世絵の世界にもあります。
歌川広重の「六十余州名所図会・美作 山伏谷」や「東海道五十三次 四日市 三重川」という作品は、画面いっぱいに強風の様子が描かれています。浮世絵のなかには〝風〟を可視化した傑作が多く見られます。

簡単かつ単純な事例しか示せませんが、これらのことからみても、先生が「光と風」にこだわる理由が見えてくるような気がします。さらに言えば、そうした背景をしっかり抑えて子どもたちに指導しているということもわかります。
それは、対象者がどんなに幼い子であっても、また子どもがそのことを理解できなくとも、常にアート的な観点からまやかしではない真実を、あそびというオブラートに包みながらも真摯に指導をしているということです。
いずれつながっていくだろうアート的な思考や生き方を、小さいうちからきちんと体感していくことがどれほど大切なことか、それを先生は十分に理解しているからだと思います。

先生のワークショップに参加していると、ふいに若いころ通っていた美校時代の学びを想い出します。何十年も年月が経って、ようやく当時の答え合わせができたようなことや今更ながらに気づくことも多くあります。
こんな私でさえそうなのですから、いまの年中・年長クラスの子どもたちなら、きっと、いつか、どこかでふいにワークショップで体験したこと、感じたことを想い出すでしょう。その時に、はじめて今のワークショップの意味を知ったとしても、決して遅くはありません。その時が、次へのステップになるタイミングとなれば。

written by OSAMU TAKAYANAGI

【にじいろWS 2025-04月】春のお花を描こう

2025年5月8日 木曜日投稿

新しいはじまりは誰の気持ちも複雑だけど、きっと素敵なことが待っている

例年のことながら、4月に入ると新年度の「にじいろワークショップ」がはじまります。
年長クラスは2年目の、年中クラスは初めてのワークショップです。
初めての子どもたちは楽しみ半分、不安半分といった気持ちでしょうか。
さすがに2年目の子どもたちはワクワク感いっぱい、と思いきや案外緊張でガチガチだったりして。

そんな気持ちで臨むのは、なにも子どもたちばかりではありません。
それぞれのクラスを新しく受け持つ保育士たちも、みんなを見守る園長も、それからにじいろワークショップを企画・指導する松澤先生だって、新しいはじまりはあれこれ考えて、迷って、悩んで、直前まで落ち着かないものです。
でも、そんなふうに、たくさんの複雑な気持ちで新しいはじまりを迎えるときって、きっと想像以上に素敵な出会いや出来事が待っているような気がします。

そのままを写すのではなく、想像力を駆使して独自の花の絵を描いて欲しい

さて、そうしたみんなの思いが集まった今年度最初のテーマは、「春のお花を描こう」です。
この季節を彩る自然の景色といえば、ブルーに澄みわたった空、心地よく流れる風、それから茶色い山肌に木々の緑が少しずつ戻ってくると、いつもの沿道や家々の庭、保育園の花壇にも多彩な表情を魅せる花たちが咲き誇ります。
今回はまさにその春に咲く〝花〟を描くわけですが、実はこれほどストレートに「花を描こう」というテーマを打ち出したのは初めてです。
そのことに触れて松澤先生は、
「〝花〟というテーマを出すと、誰でもどんなふうに描けばいいのか、というイメージがすぐさま浮かぶでしょ。年中・年長クラスの年齢になればなおのこと。どうすれば花らしく見えて上手に描けるか、なんてことがわかってくる。そうなると、そこに意識が集中して予定調和の作品ばかりになる。そうはしたくないから、敢えて避けてきたのかもしれません。
でも、今回このテーマにしたというのは、この季節ならではの自然の在りようを子どもたちにもっと意識して眺めたり、触れたり、興味を持って欲しいということです。そのための入り口として、身近にある〝花〟を選んだということです」

さらに続けてこう言いました。
「ただ、やはりだれもがイメージする花の絵にはしたくないというのがあるので、そのままのかたちや色を写し取るのではなく、それぞれの想像力を駆使した、オリジナル性の高い花の絵を描いてもらいたいと思うんですね。
そこで、画材はパステルとチョークを選びました。いずれも指先ですり込んでいくという技法を採るので、思い通りの形や色彩にはなりづらい。その分そのものと対峙することで新しい発想が生まれて、予期せぬ作品が自然と表れてくる・・・と、そんなふうになることを期待しているのですが。
そうそう、それと手指で直接画用紙に触れることから得られる質感なり、または伝わるエネルギーのようなものを感じることができるので、より一層自分の感性が作品に活かされてくるはずです。それはしっかり体感して欲しいです」
もしクレヨンや絵の具を使うとなったら、先生が指摘したように〈上手に描くこと〉を競うような作品づくりに終始した、言葉は悪いですがありきたりの作品が並ぶことになったと思います。それはそれで良しとする考え方もあるので、これは難しいところです。
そう思うと、松澤先生のワークショップは、やはり今期も単純に絵を描いたり、造形を遊びとして楽しんだりということにはならないでしょうね。もっとも、そこが「にじいろワークショップ」の魅力でもあります。

「あらゆる未来の花は今日の種の中にある」~インドのことわざより

まずは、ホールに置かれた大小の鉢植えの花を先生と子どもたちで囲んで鑑賞することからはじまりました。
特に初めて参加する年中クラスの子どもたちは、花のかたちや鮮やかな色合いについて、はたまたほのかに漂う匂いなどについてにぎやかに言葉を交わしました。ときおり先生が冗談を言うと、それに反応して大笑い。そうこうするうちに、初めて参加する子どもたちはすっかりワークショップの空気に溶け込んでいきました。

では早速実践です。
先生はパステルとチョークを持ち、1枚の白い画用紙を床に置くと、いつものように手本となる絵を描きはじめました。
真剣に見つめる子どもたちの前で最初に描き出したのは、画用紙の下部に何色か違う色を重ねた円形でした。
どう見ても花には見えません。なぜなら、それはまだ花になる前の「種」だからです。

次に先生は、その色を重ねた円形をひとさし指で直接画用紙の上でこすり出し、徐々にその色彩を広げながら深みを加えていきました。
不思議な色彩を放ち出したその円形は、いつしか本物の花の「種」に見えてきました。
つまり、この「種」はこれから芽を出し、葉をつけ、花を咲かせるためのはじまりです。どんな花になるのか、この段階では描いている先生にもわかりません。
先生は子どもたちと花の話しをしながら、ゆっくりその円形の「種」から緑色のツルや葉を伸ばしていき、最後はいくつかの花を画面いっぱいに咲かせ(描き=すりこみ)ました。
なにやらその様は、これから成長していく子どもたちを暗示しているかのようです。
いまはまだ小さな「種」ですが、明日へ、未来へと少しずつ成長を遂げ、やがてそれぞれが鮮やかな花となる日のことを。

余談ながら、こんなインドの有名なことわざを想い出しました。
「あらゆる未来の花は今日の種の中にある(All the flowers of all the tomorrows are in the seeds of today)」
本意はわかりませんが、ものごとの本質を突いた表現のように感じます。
今回のテーマもそれに即して捉えると、「種」から描きはじめた先生の意図が読み取れるような気がします。
子どもたち自身も、こうして「種」から描きはじめたことで、その先にどのような花を咲かせるかということを自ら想像することができたようです。気づいたらどの子も、自分自身の花の絵を仕上げていました。

手指を使うことが創造の原点であり、そこから得た身体的な情報はいつか活かされる

また今回のテーマで重要なのは、直接自らの手指を使って描くという点です。
先生はこれまでにも手や指を使ってさまざまな支持体(木、紙、布など絵を表現するための物体)に描いてきました。
一般的に画材として使用するクレヨンや絵の具は、どれもが直接手指で画面に触れることなく、簡単に支持体に表現することが可能なので、子どもたちも指導者もそれを選択することが多いようです。
でも先生は、敢えて自らの手指を使うことを奨励します。
なぜなら、第一にそれがモノを創造する原点だからです。私たち人間の機能として備わった手指でさわる、つまむ、こねる、つぶす、こするといった行為によって、太古からモノをつくり続けてきました。
また身体的な体験から得られる情報(例えば熱い、冷たい、柔らかい、硬い、すべすべ、べとべと、ざらざら、でこぼこなどの単純な感触から物質の持つエネルギーや自らの熱量など)は、いつの日か生きていく上で活かされるときがくると思うからです。

この先、こうした機会を逃すと、ほぼ一生自らの手指を汚してまでもそのモノの本質に迫るような体験をすることはないでしょう。
現にいま大半のおとなたちは、日常自らの指先で直接触れるのはパソコンのキーボードや携帯電話の画面くらいで、それらはなんとも無機質で、どれもが同じ感触しか持ち得ないということです。

今年度、子どもたちと一緒に参加する保育士たちに訊きました

これは私見ですが、私にとっての花の絵は、ルノワール、モネ、セザンヌといった印象派の画家たちが描いた作品、もしくはゴッホの「ひまわり」です。日本画壇ではかなり時代が遡り屏風や襖絵のなかに描かれた牡丹や菊、梅などを思い浮かべます。しかし、それらはいずれもアカデミックなものとして捉えてしまうので、修練のための絵画という思いが強いのですが、今回のような「種」から発想していく花の絵には改めて感動しました。

では最後に、今年度の年中・年長クラスを担当する4名の保育士に、ワークショップについて訊いてみました。
今年の年中クラスを担当する宮保育士は、ワークショップへの参加経験があるとのことですが
「初めて参加する子どもたちはどうかな、大丈夫かな、と少し心配していたのですが、はじまってみると、子どもたちは自由にのびのびとやっているのでほっとしています」
と安堵の表情を浮かべていました。
同じく参加経験のある年中クラスの下田保育士は、笑顔でこう話しました。
「以前も、毎回素直に喜んでいる子どもたちを見るのが楽しみでしたから、この一年、またそれが見られると思うと嬉しいです」
そしてお二人ともに「このワークショップの活動が大好きです」と付け加えてくれました。

次いで、子どもたちに実際の花を見せたいということで、自宅の鉢植えを抱えていつもより早く園に来ました、と言う年長クラス担当の三浦保育士は、
「昨年度はワークショップに参加すること自体初めてだったので戸惑いばかりでしたが、今年は二年連続で同じ子どもたちと体験できるということもあるので、少し余裕をもって臨めそうです」
そう言って笑いました。
それからワークショップへの参加が初めてという出水保育士は、
「想像以上に子どもたちみんながこのワークショップに親しんでいるんだなぁ、と実感しました。それに子どもたちと一緒になって参加できるのは何よりも楽しいです。もともとアート系の活動には興味があったので!」
と明るく応えてくれました。
今年度も一年間、どうぞよろしくお願いします。

written by OSAMU TAKAYANAGI

【東京都】ベランダ等からの子供の転落事故防止について

2025年5月7日 水曜日投稿

ベランダ等からの子供の転落事故防止について

子供が保護者の目の届かないところでベランダに出て、エアコン室外機などを足掛かりに手すりを乗り越え、転落する事故が発生しています。 例年、自宅の窓を開ける機会が増える春先や初秋に、事故が発生する傾向があります。

お子様たちが元気に安全に過ごせるよう、ベランダや窓のそばに子供の足場になるようなものが置かれていないか、この機会に改めてご確認をお願いいたします。

【参考】

〇FC東京・東慶悟選手からのメッセージ

ベランダからの子供の転落防止のポイントについてメッセージをいただきました!

動画は、下のリンクからご覧いただけます。

https://tokyodouga.metro.tokyo.lg.jp/yqnvww6ynh8.html

〇東京都公式動画チャンネル「東京動画」~STOP! 子供の転落事故~

子供がベランダの手すりの高さまで素早くよじのぼっていく実験映像や、転落事故を防ぐポイントを紹介しています。ぜひご覧ください!

〇「子供のベランダからの転落事故に注意!」

このリーフレットは、下のリンクからダウンロードできます。

リーフレット(PDF)

【羽村市】4/19 ポットラックピクニックvol.9

2025年4月10日 木曜日投稿

ポットラックピクニックvol.9

日時

令和7年4⽉19⽇(土)
<子ども広場リニューアルおひろめ会> 午前10時から
<各プログラム> 午前10時30分から午後3時まで

場所

S&Dスポーツパーク富士見内(富士見公園) 子ども広場

ポットラックプロジェクト公式サイト

https://www.city.hamura.tokyo.jp/prsite/0000018457.html

【羽村市】3/2 ポットラックトーク vol.6

2025年2月25日 火曜日投稿

ポットラックトーク vol.6

日時

令和7年3⽉2⽇(日)
午後2時から午後3時 ※その後4時までワークショップあり

場所

S&Dスポーツパーク富士見内(富士見公園) クラブハウス1F

外遊びに使えるサコッシュづくり+倉庫を使った地域の拠点づくり

外遊びに使えるサコッシュづくり+倉庫を使った地域の拠点づくり

好きな色の生地や紐を選んで、外遊びにも使える、サコッシュ(ミニバッグ)をつくりませんか?同じスペースでは、新しくできるスペースをどんな風に使いたいか、公園でどんなことがしたいかのアイデア募集も行います。出入り自由ですのでぜひご参加ください。
※サコッシュづくりは数に限りがあります。ミシンを使うため順番にご案内しますので時間に余裕をもってご参加ください。

ポットラックプロジェクト公式サイト

https://www.city.hamura.tokyo.jp/prsite/0000018457.html