【にじいろWS 2025-01月】お正月の新巻鮭をテーマに

2025年1月21日 火曜日投稿

暮れからお正月の風物詩だった日本文化を、子どもたちに知って欲しい、伝えたい

2025年最初のにじいろワークショップは、当園の栄養士並びに調理師との共同企画で、〈食〉と〈アート〉のコラボレーションです。
この共同企画はここ数年暮れの12月に行ってきましたが、今回は新年幕開けの1月となりました。
それは何と言っても、「新巻鮭」がテーマだからです。
そう言われて、どれほどのひとがピンとくるでしょうか。おそらく世代によって異なると思います。
例えば、昭和生まれ(~1989年まで)の方ならほぼ納得するでしょうし、平成でも初期(~199X年)くらいまでに生まれていれば頷ける方もいるでしょう。
端的に言えば、「新巻鮭」はある時期まで暮れから正月にかけてどこでも見られた日本の風物詩のひとつでした。
特に昭和の頃は近所のスーパー(鮮魚売り場)はもちろん、商店街の魚屋の店頭でもごく当たり前に見られたものです。
それがいつの頃からか、築地の場外や上野のアメ横といった限られた場所でしかお目にかからなくなりました。

そんな「新巻鮭」ですが、その歴史を紐解くと室町~平安時代にはすでにその存在の記述が残されています。
実際に塩漬けにした鮭は平安時代に作られはじめ、宮中の行事や時の権力者への貢ぎ物として利用されるほど貴重なものだったようです。
それが広く庶民の間で食べられるようになったのは江戸時代以降だそうです。
江戸時代後期からはお歳暮の贈答品として一般的に贈り、贈られるようになり、それが昭和の時代までお歳暮に「新巻鮭」を贈るという習慣が根付いたとか。
そうしたお歳暮としていただいた鮭は、正月のおせち料理といった特別な料理の品として食卓を彩りました。
暮れから正月にかけて昔から珍重されたのは、鮭には「災いを避け(サケ)る」という意味が込められている、また卵であるイクラは「子孫繁栄の象徴」ともされているということで、新年の正月には欠かせない縁起物として愛されてきました。

前置きが長くなりましたが、この「新巻鮭」を今回の主役に据えたのは、こうした歴史的背景を含めて子どもたちに〈日本の文化〉としてのそれを知って欲しいということ、また次世代へ伝えておきたいということ、それが今回のテーマとなった大きな理由です。

にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、こう話しました。
「食育とのコラボ企画を練る際に、私が子どものころ年末に新巻鮭を1本購入し、それを父が切り分けて大晦日の夜に食べる習慣があったことを想い出したのです。それは暮れから新年にかけての食の体験であり、どこの家庭でもその時期にはそうした家族の習慣、強いていえば日本人の習慣があったはずです。
そこでこのワークショップを通じて、日本古来のそうした食文化、つまり食物に願いや祈りをこめて新年を迎えるというような日本独特の文化を、どんなかたちにせよ子どもたちに伝承できたらな、と思ったのです」
それにすぐさま賛同したのが、やはりそうした体験を持つ当園の田中園長でした。
こうして、今回の「新巻鮭」をテーマにしたワークショップが実現しました。

栄養士のお話しから、ワークショップ初「鮭の解体ショー(!?)」まで

「新巻鮭(あらまき さけ・ざけ)」は、頭を残してエラと内臓を取り除き、塩漬けにしたものです。それを熟成させるために、吊るして保存しておきます。
余談ですが、鮭で有名な新潟県村上市では、頭ではなく尾を上に吊るしています。それは、「首吊り」を連想するのでそれを嫌ったとも、城下町であったため鮭でさえも殿様に頭を高くできなかったとも言われています。いずれにしても、ほんとうに鮭と日本人との関りには長い歴史があります。
この名称についても、もとは荒縄で巻いたところから〝荒〟巻鮭とも呼ばれていましたが、江戸時代後期に〝新〟巻という漢字が定着し、明治時代には〝新しい〟鮭、または〝新たに〟採れた鮭という意味で「新巻鮭」と言われるようになったとのこと。いろいろ調べてみると面白いですし、奥深さを痛感します。

今回の「新巻鮭」ですが、生まれて4年(歳)目の、北海道根室産の新鮮な鮭です。
ワークショップ当日の朝一番に、全長50cm超の四尾の鮭が届きました。
到着後、園長と担当保育士で悪戦苦闘しながら頭部分に紐を通し、二尾の鮭をホールの天井から吊るしました。

ご記憶にある方は、にんまりとされるでしょう。
暮れになって店頭に並ぶ「新巻鮭」は、こうして頭を上に縄で吊るされた状態で売られていました。
それがずらっと並んだ光景は、それはもう見事なものでしたし、その光景を見ると当時の子どもたちは暮れの忙しなさを感じ、もうすぐ来るお正月のことを思い描いたものです。

それにしてもこんな大きくてりっぱな、しかも吊るされた鮭をここで見られるなんて思いもしなかっただけに、いきなり目に飛び込んできたこの光景にはとにかく驚きました。ほかの保育士も、松澤先生も、やはり予想もしなかったその光景に驚愕していました。
当然ですが、年中・年長クラスの子どもたちもその光景には驚きというか、かつて見たことのない状況が目の前に在る、そんな奇妙な感じだったのでしょうか・・・言葉を失いながらも、その吊るされた鮭への視線だけは逸らすことなく部屋に入っていきました。

年中・年長クラス共に、はじまりは当園の関塚郁美栄養士が子どもたちに「新巻鮭」のお話をしました。
天井から吊るされたひとつの「新巻鮭」の前に子どもたちを集めて、鮭という魚について、そして吊るされている鮭がいまどのような状態になっているのかなど、関塚栄養士が具体的に鮭のお腹部分を開いて見せながら子どもたちに話していきました。
年中・年長クラスの子どもたちは、共に初めて目にする大きな鮭のお腹の中を興味深くのぞきこんで、「すごいなぁ」と驚いたり、「へ~」と感心したり、「(生)臭いよ」、「これ食べられるの?」なんて言う子もいて様々な反応を見せていました。

関塚栄養士の鮭についてのお話しが終わると、先生がほかの鮭一尾を抱えて子どもたちの前に登場しました。
吊るした鮭以外の一尾をあらかじめサランラップでぐるぐる巻きにして、直接ひとの皮膚に触れないような状態にしておいたものです。
またまた子どもたちはその鮭を見てびっくりです。目の前に吊るされている鮭も大きく見えたけれど、実際に先生の腕のなかで抱かれていると、人間の赤ちゃんくらいに大きく見えました。
先生は、見るだけでなく実際に触れることも重要だから、ということであらかじめ準備しておいたのです。
年中・年長クラス共に、ラップで厳重に包まれた鮭でしたが、順番にひとりずつその鮭を自らの手で抱きました。
「でっかいなぁ」とはしゃぐ子、「重いよ」と言う子に「軽い、軽い」って応える子、「獲ったど~!」とおどけて頭の上に掲げる子、一人ひとりが確実に自分の感触でしっかり鮭という魚を体感しました。

ところが今回はこれだけでは終わりませんでした。
その鮭を子どもたちの目の前で解体することにしたのです。
解体とは、最近よくテレビなどでも話題になる、いわゆる「解体ショー」のことです。本家のそれはマグロが対象で、さまざまな演出を施しながらプロの料理人が自らの包丁捌(さば)きを見せるというエンターテイメント性に富んだイベントです。
でも、ここで行った〝あおぞら版「解体ショー」〟の対象魚は鮭ですが、本家に負けず劣らず、迫力があり見ごたえ十分でした。

今回鮭を捌(さば)いたのは、吉永弘美管理栄養士です。吉永管理栄養士は、同列の「太陽の子保育園」で子どもたちの食事に関する栄養管理・指導などを行っていますが、この日は当園でその包丁捌(さば)きの腕前を披露してくれました。
まな板に鮭を置き、子どもたちの目の前で~とはいえ包丁は危険なのでテーブル越しでしたが~手際よく捌(さば)いていくその光景に、子どもたちはもちろん、保育士たちも釘付けでした。
最後に本体から切り取ったその身を、さらに均等の大きさに切り分けていきました。
するとある子が、
「あ、スーパーで売ってる鮭だ!」と、ようやくそのことに気づいたようで、周囲の子どもたちも「ほんとだ、見たことある」と口々に発していました。
鮭の切り身は見知っていたものでしたが、その本体というか、そのものの正体がまさかこの大きな鮭の一部分にすぎなかったということにも驚いたようです。
確かに、子どもたちにとって、鮮魚売り場で見かける鮭はすでに切り身の状態ですし、お昼の給食で出る鮭も、お弁当のおかずも、鮭はどれも切り身ですからね。

実はこれだけで終わらず、ワークショップの終わりにはあるご褒美が待っていたのですが、それはまた後ほどということで、いよいよ本来のワークショップの制作に入りましょう。

吊るされた「新巻鮭」をモチーフに、じっくり観察し、墨一色で描きます

アートの観点から鮭といえば、明治初期の洋画家・高橋由一(たかはしゆいち/1828~1894年)の描いた『鮭』が有名です。画家の名前や作品名が思い浮かばないとしても、作品を見れば「あ、これかぁ」と想い出す方は少なくないはず。まさに、吊るされた「新巻鮭」(解体ショーで子どもたちが見た、半身を切り取った姿)そのものが描かれています。

今回のワークショップは年中・年長クラス共に、「新巻鮭」を墨一色で描くというのが課題です。
準備はすでに吊るされた鮭でほぼ完了ですが、ワークショップとしては次の材料を用意しました。
まずは、絵を描くための用紙として障子紙(ひとり50cmほどに切ったもの)を人数分。
そしてそこに画材となる墨汁と、それを数人で取り分けるための容器(墨汁入れ)。
この容器については牛乳パックを半分に切り、その切り口に筆を置けるような切り込みを入れたものを保育士らの手で1個1個作成しました。
それから水彩用の筆を人数分、最後に筆洗器と用紙の下敷きに使用する古新聞などです。

簡単に「新巻鮭」を描く、と言えばそういうことですが、実際はなかなか難儀な課題です。
第一に対象物としっかり対峙しなければ描きこなせない、つまりじっくり観察してそのものの本質を知るということが必要になります。想像の物ではないので、思いつくまま自由に勝手に筆を運ぶわけにはいきません。
ただ子どもたちはすでに対象物とは十分に向き合ったのではないでしょうか。表面的な姿かたちは視覚的にも感触的に体験しましたし、その中身までじっくり観察したのですから。
さらに決められた用紙のスペースに対象物を過不足なく、きちんと収まるように描くためにはどの位置のどの部分をどのくらいの割合(大きさ)で構成していくかということも重要です。
しかも対象物は天井から吊るされた鮭ですから、この時点で用紙の扱いは縦位置になります。子どもたちはこれまで絵を描くといえば、通常扱う用紙の位置は横でしたから、だいぶ不慣れな構図となります。
こうしたことから、先生は敢えて子どもたちに余計な説明はしませんが、実は取り組み方次第ではかなり高いハードルへ挑むことになります。

そこで、先生がはじめにお手本を示しました。
吊るされた鮭を目の前に見て、縦位置に用紙(障子紙)を置き、途中なんども筆を止めては鮭の姿を観察し、それに応じてゆっくり筆を動かしていきました。
先生自身初めて鮭を描くとかで久しぶりに緊張したそうですが、見事にそれを仕上げて見せました。

先生はそれを示しながら、
「最初に自分はどこから見た鮭を描きたいのか、どれくらいの位置から見たら画けそうか、そういうことをよく考えて、その場所を見つけてください」と指示しました。
子どもたちは天井から吊るされた二つの「新巻鮭」の周りをぐるぐると歩き回り、それぞれがその位置を決めました。それが決まったら下敷きにする古新聞と用紙とする障子紙を受け取ります。
ここまでは順調だったものの、じっくり見て、それを描くとなるとなかなか筆が動きません。
それも、無限大の用紙に好きなように描き込むのではなく、目の前の限られた大きさの用紙に描くとなるとさすがにそう簡単ではないな、というのが分かります。
なかには「むずかしい」とか「(どう描くのか)わからないよ」といったことを正直に口に出す子もいました。
それでも、そこはワークショップで鍛えあげられた子どもたちです。
最初の一筆を入れると、意外にどの子もどんどん筆を動かしていきました。

ふと、それを見て気づいたのは、当初懸念していた用紙を置く位置のことですが、そこは年中・年長クラス共に誰ひとりとして横位置で描く子はいませんでした。先生は他園での経験から、何人かは描きづらさを理由に対象物が縦位置にもかかわらず、用紙を横位置に置いて描いてしまうこともあるので、と言っていたので若干心配していましたが余計なことでした。
それから対象物を限られた用紙のスペース内に収めることができるのか、という点ですが、なかにはどう見ても強引に無理やり収めたな、と思う子もいましたが、ほぼ全員が指定された用紙のなかに「新巻鮭」を描き込むことができました。

ここまでは目に見えるかたちを線で捉える作業です。次に、それが済むと先生は再び子どもたちを集めて仕上げについて話しました。
仕上げは色付けですが、色といっても墨一色です。イメージとしては、墨絵の世界です。
墨は薄め方次第で、見え方(濃淡)を何段階にも調整することができます。
先生は筆洗器に水を入れ、今まで使っていた墨汁のついた筆をそのまま水に浸しました。その瞬間透明だった水が黒く濁りはじめました。
それから先生は先ほど見本として描いた鮭の絵に、ほどよく水に浸したその筆をそっと下ろして、ウロコ部分や背びれ部分などに色付けをするように塗っていきました。すると、墨汁の黒色が水で薄まりグレーに変化して、ウロコや背びれが淡いグレーに染まりました。
子どもたちは、墨汁で真っ黒になった筆をただ水に浸すだけで、黒色がいかようにも変化することに興味を示しました。

子どもたちも古新聞の上であれこれ墨の濃さを試しながら、さっそく実践です。
コツを覚えて上手に濃淡を調整する子、うまく水に浸せず水分ばかりが多くなってせっかくの絵がすべて薄くなってしまった子、水に浸しきれずに真っ黒なまま塗ってしまってさらに画面が真っ黒になってしまった子・・・。
でも、なんとかどの子もそれなりに作品としてまとまりました。

 

全員の仕上がった絵を一か所に集めて、今回のワークショップは終了です。
と、そのときに年中・年長クラス共に、なんとまさかのご褒美が待っていました。
それは子どもたちの目の前で捌(さば)いた切り身をその場で焼いて、一口程度でしたが子どもたちに配り、みんなでそれをいただきました。どの子も笑顔で、ごちそうさま!
もちろん、切り身はその後の給食で全児童が食べられたのですが、給食前にちょっとつまみ食いさせてもらったことに、子どもたちは大満足でした。

まさに五感(視・臭・触・聴・味)で体感したワークショップでした

ある水産会社の調査によると、日本人が好きな魚の1位は鮭だそうです。ちなみによく食べる魚ランキングも1位だそうです。また国内でもっとも鮭の漁獲量が多いのは北海道で、国内シェア80%だそうです。今回の鮭も北海道根室産でしたね。
鮭にまつわる話しというだけで、まだまだたくさんありました。紹介できませんでしたが、熊の木彫りの人形と口にくわえている鮭の話し、映画に登場する「新巻鮭」のこと、釣り好きな作家のエッセイに登場した鮭は・・・、漫画『サザエさん』の登場人物フグ田マスオの兄がフグ田サケオ、海外でも米国の作家R・カーヴァーの「夜になると鮭は/川を出て街にやってくる・・・」といった詩について、などなど、ほんとうに色々ありすぎてどれを紹介しようか迷ってしまうほどでしたが、「それはワークショップと関係ないでしょ」とダメ出しの声が聞こえてきそうなのでここまでとします(失礼しました)。

では、最後ににじいろワークショップを企画・指導する松澤先生に締めていただきましょう。
「モノをじっくり見て描く、これがすべてです。今期も残りあと一回ですが、これまでそういう創作を行ってこなかったので、タイミングとしては良かったと思います。
対象物を描くって、静かにそのモノと対峙するってことですから、ある意味自分を見つめることにもなります。それってやはり〈アート〉の基本ですからね。
また対象とするモチーフが今回は本物(現物)だったことは大きいです。本物が持つ〝力〟って迫力を感じますし、なにより描く者を魅了してきますよね。子どもたちの視線を無言で集めて、最後まで飽きさせずに離さなかったのですから、その凄さは肌で感じたはずです。

 

それから墨一色で描いていく、ということですかね。さまざまな色彩を塗り重ねていくと、意外にごまかすことができますが、黒一色、それもその濃淡をつくって表現することは簡単なことではないです。
それに対象物を考えると、やはり〝和〟ですから、自ずと墨絵の世界が一番ふさわしいような。
でも、子どもたちは新たな試みに対して果敢にチャレンジしてくれました」

先生は満足そうにそう話すと、さらにこう付け加えました。
「五感で体感する、って今回のようなことかもしれませんね。視覚でまずはじっくり観察し、臭覚で生臭さを嗅いで、触覚でそのものを実感し、聴覚では表面をペタペタ叩く音、包丁を入れて身を切る音、骨に当たる音など。
そして最後はみんなで味わった味覚。すばらしいワークショップになりました」

終了後、当園での「食育」について田中園長に尋ねてみました。
「毎日給食時には調理師が各教室を回り、今日の食材についての説明や子どもたちからの質問に答えるなどしているので、子どもたちも栄養士や調理師とも親しく接していますし、日常で食べることの大切さ、食材に対する意識みたいなものは自然と身についていると思います」
と即座に話してくれました。
そして園長からもこんな感想を聞くことができました。
「それにしても、子どもたちがこんなにも目を輝かせて、終始鮭のことを見つめている姿には感動を覚えました。これを機会に、大切にしてきた日本の食文化などに興味をもって、記憶にも五感にも残ってくれたら嬉しいですね」

*今回のことは当園ホームページの2025年1月9日(木曜日)の「給食ブログ」にも紹介されていますので、そちらもご覧ください。

ドキュメンテーション

私が子どもの昭和の時代、年末に新巻鮭を1本購入し、それを父が切り分け大晦日の夜に食べる習慣がありました。
お正月の「おせち」に代表されるように「食物」に願いや祈りをのせる文化は長らく日本にあります。
「食」をめぐる環境や好みなどは変わりつつありますが、その考え方は日本人が生きてきた歴史やお思いを感じさせるものであり、次世代にも伝えていくものに入るのだと感じます。
今回は調理室とのコラボ。
鮭そのものの迫力を目で見て感じとり、食文化にも触れ、「鮭」を前にその感動を制作に表したいと思います。

written by OSAMU TAKAYANAGI