【にじいろWS 2023-8月】木を立てよう

2023年8月13日 日曜日投稿


自然から受ける刺激って、たくさんこころに響くものがあるんだなぁ

木が たくさんあるのは いいなあ。
木が そらを かくしているよ。
木は、川べりにも たにそこにもはえる。
おかのうえにも はえる。
木がたくさんはえると、森になる。
森はいつも いきいきしている。
『木はいいなあ』偕成社発行より

8月のテーマは「木を立てよう」です。
にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、このテーマの発端についてこんな話をしてくれました。
「最近、涼しさを感じはじめた夜になってから、気分転換も兼ねて散歩をしているんですよ。昼間は外出もそうそうできないですからね。
そんなときに、空の星や月を眺めたり、風を感じたり、道路沿いや公園に立つ木々に手を触れたりしてね、葉や枝のこすれ合う音が聞こえたり、その木々のまわりには小さな生きものも居たりするでしょ。
そうしていると、頭のなかにイメージがどんどん広がっていく・・・ああ、自然から受ける刺激って、こんなにもたくさんこころに響くものがあるんだなぁと、つくづく思うんです」
そんな日々の体験に触発されてか、今回は子どもたちと一緒に、ホールいっぱいに「木を立てよう」と考えたそうです。

この話を聞いたとき、一冊の古い絵本を想い出しました。
ジャニス・メイ・ユードリイさん・作、マーク・シーモントさん・絵、西園寺祥子さん・訳の絵本『木はいいなあ(原題:A TREE IS NICE)』です。

冒頭に掲げた数行の文章が、はじまりのページから抜粋したものです。
この本は、まさに先生が話してくれたような「木」のことを簡単な短い言葉と、素敵な木々のある情景のイラストで描かれています。
作者のJ.M. ユードリイさんは、シカゴ市の保育園に勤めた経験があり、そのときに絵本の楽しさ、大切さを知り、作品を書くようになったといいます。
偕成社で初版刊行されたのは1976(昭和51)年ですが、原書が刊行されたのは1956(昭和31)年ですから、いまから65年以上も前の絵本です。
幼児向けの絵本ですが、とても大切なことがわかりやすい言葉で綴られていて、おとなが読んでもちょっと考えたり、頷いたり、幼かったころの風景がよみがえってきたりして、やさしい気持ちにさせてくれます。
おそらくみなさんも、「木」についてのたくさんの物語や想い出をお持ちのことと思いますが、はたして今回、子どもたちの手によってどのような「木」がホールいっぱいに立ち並ぶのでしょうか。

いつものホールが、ここでしかない〈あおぞらの森〉に変わる

まずはじまりの準備ですが、今回はまったくゼロからのスタートではなく、子どもたちにある程度いつもと違う世界(空間)のイメージを与えようと先生は考えました。
そこで、あらかじめ四つ切サイズ(約390×540mm)の茶系画用紙を用いて、長い部分のサイズをその高さとし、短いサイズの部分を丸めて貼り合わせ、1本の筒状のものを子どもたちの人数分つくり、それをホールの床面に1本1本ランダムに立たせて置きました。
それだけで、なんだかどこか別の世界に迷い込んだような雰囲気です。
子どもたちがこのホールに入った瞬間、この景色にどんなイメージを持つのでしょうか。

最初は年中クラスの子どもたちです。
案の定、ホールのなかの見なれない景色に、誰もが一瞬息を飲むのがわかりました。
それでも、すぐさまそれぞれに声を発しました。
もちろん、ひとりひとり感じ方も見え方も違いますから、戦々恐々とする子がいれば、不思議そうに凝視する子や「なんだなんだ」と興味津々で騒ぐ子もいます。
なかにはいきなり「木?」と言い当てる子もいたりして、それぞれの反応は千差万別。
でも、あきらかに日常とは違う空間だということを感じるとることが大事ですから、答えなんてどうでもよいのです。

先生は、茶色の筒状のものが立ち並ぶ光景を一望できるホールの端に子どもたちを集めました。
そして、それがなにを意味するかの説明の前に、子どもたちにその筒状のものの間をかけ抜けて向こう側に行くよううながしました。
子どもたち誰もがランダムに置かれた茶色の筒状のものに当たらぬよう、慎重にかつ夢中で向こう側に走り出しました。
上手に走り抜けた子も、途中で腕や足がそのものに触れて倒してしまい、慌てて立て直す子もいますが、誰もが本気でその行為を楽しんでいました。
そんなことを数回繰り返すうちに、子どもたちはその筒状のものに対して、最初に受けた特別な印象が遠のいてしまったようです。
第一印象は空間のなかに浮かび上がる全体像としてその素材をとらえ、次に身近な素材として対峙していければいいのです。
実際には手元でつくるものですが、最終的に全体像となったときにどのように見えるのかをイメージできることも大事なことですから。

先生は子どもたちを集めると、その茶色の筒状のものを1、2本手に取り、腕を通したり、頭に乗せたりして、おどけながら子どもたちの意識をひとつの素材としてとらえるように見せていきました。
さあ、ここからが本番です。
先生は子どもたちに今回の趣旨をわかりやすく、ていねいに説明しながら、基本的なつくりかたを教えていきます。
茶色の筒状のものの先端に2か所ハサミで切り込みを入れて、その切り込んだ部分を外に向かって折り、枝のようなものをつくりました。
その枝のようなものに、葉っぱのかたちに切り出した緑の色紙を貼り付けました。
すると、1本の、どれも同じだった茶色の筒状のものが、枝と葉っぱのついた本物の木のように見えてきました。
そうしていくつかの工作見本を見せると、子どもたちはもうそれ以上の説明は不要!といわんばかりに、すぐに制作モードに突入しました。

床面に立ち並んだ茶色の筒状のものを子どもたちは1本ずつ手に取ると、先生が見本を示したようにハサミで切り込みを入れて枝にし、そこに用意した緑色の葉っぱを貼り付けていきました。
もちろん、このワークショップで鍛えられた子どもたちですから、そのうちさまざまな色紙を選んで、おもいおもいのかたちに切り抜き、枝の部分や胴体の部分にまでそれを貼り付けました。
また、その色紙に好きな絵を描いて貼り付けたり、胴体そのものにも絵を描きだしていきました。
こうした独創性はどこから湧いて出てくるのでしょうか。
こんな子どもたちを見ていると、おとなの発想力の乏しさに哀しくなるときがあります。

当たり前のことですが、自然にはえている木が1本と同じ木がないように、子どもたちのつくった木も1本と同じ木はありません。
20人いれば、20本の木ができ上がります。
それを最後に一か所に集めてぜんぶ並べてみました。
かわいらしい木、たくましい木、ちょっとへんてこな木、どことなくおもしろい木。
色々な木が集まって、気づけばどこにもない、ここだけの〈あおぞらの森〉になりました。

想像してみよう、きみの木は老いた木?若い木?それとも・・・

年長クラスがはじまる前に、年中クラスのつくった木はいったん片づけました。
年中クラスの子どもたちと同じように、茶色の筒状のものだけをホールの床面に1本1本ランダムに立たせて置き、いつもと違う世界(空間)のイメージを与えるためです。

やはり子どもたちの反応は千差万別。
でも、年長クラスの子どもたちはもっと積極的にそのものとの距離を縮めようとするかのように、指示をする前から指先で触れたり、持ち上げようとする子もいました。
そこで先生は、年中クラス同様に茶色の筒状のものが立ち並ぶ光景を一望できるホールの端に子どもたちを集め、同じくそのものが立ち並ぶ間を縫って向こう側に行くよううながしました。
器用に1本1本の間をすばやくすり抜ける子もいれば、なかにはそのものにわざと接触して倒していく子もいます。
どちらにしても、そのものとの関係性を意識しているからこそのことでしょう。
年長クラスの子どもたちは一年間の経験を経ているので、それがただそこに置かれているだけのものではないことに気づいています。

先生は、やはり子どもたちを集めて今回の趣旨を説明しました。
それから年中クラスと同様に茶色の筒状のものの先端に2か所ハサミで切り込みを入れ、その切り込んだ部分を外に向かって折り、枝のようなものをつくりました。
その際、年長クラスの力量を考慮して、ただまっすぐに折るだけではなく蛇腹のように段々をつけたり、変則的に折り曲げたりと、ひと工夫手を加えることでもっと動きのある枝になることを教えました。
その枝にも葉っぱだけではなく、自由な発想で好きな装飾を施すようにいいました。
そうそう、胴の部分にも切り込みを入れて、小さな窓をつくる方法も。

また先生は、年長クラスのこどもたちに、
「木にもいろいろあると思うよ、おじいさんやおばあさんのような年寄りの木・・・」
と新たなイメージのヒントを話し出すと、いきなりひとりの子が
「じゃ、若い木をつくろう!」と声をはりあげました。
先生は笑いながら
「いいね、ほかにもおかあさんの木、あかちゃんの木、おこりんぼうの木や泣き虫の木とか」
とさらにイメージを付け加えて、まるでいくつかの木の物語を話すように説明をつづけました。

技術的な方法などを細かく教えたせいか、さすがに年長クラスの子どもたちの木は、かなり凝ったものに仕上がっていきました。
切り込みを入れて折りこむ枝も、ほんとうにさまざまなかたちになり、風や振動に揺れていました。
その枝に付けた葉っぱも色とりどりで、なかには蕾や花まで付けています。
カブトムシでしょうか、クワガタでしょうか、色々な昆虫たちがたくさん木に住みついています。
それも表面ばかりか、木の内側(筒状のなか)にまでそのすがたが見えます。
胴体に入れた切り込みの小窓から、花や鳥が顔を出しています。
驚いたのは、木の胴体から地表に向かって川が流れ出していました。
そうですよね、木も川も大地もみんなひとつの自然のなかで生きているのですから。
あれ?ポケモンまでいますね!

最後に、年長クラスの子どもたちの作品も一か所に集めて、もうひとつの〈あおぞらの森〉をつくりました。

 

そして今回もすべてのワークショップが終わった後、年中・年長クラスの子どもたちの木(作品)をぜんぶまとめて、園のエントランスに設けられた図書スペースのひな壇に展示しました。
後日、担当の保育士から「その日のお迎えの時間に、お家のひとに一生懸命自分の作った作品を紹介していたんですよ」と聞きました。
そうですよね、子どもって、自分の家族に一番自慢したいし、一番ほめてもらいたいですものね。
にじいろワークショップって、終わったあとも、子どもたちにとってはいつまでもつづいているのだということを知りました。

木を1本つくることは、そこにひとつの木の物語を表現すること

再び冒頭の絵本『木はいいなあ』(偕成社発行)に戻りますが、終わりはこんな言葉で締めくくられています。

木をうえると いいよ。
(中略)
なえぎは まいとしすこしずつ おおきくなっていく。
そしたら、みんなにいうんだ。
「この木、ぼくがうえたんだよ。」って。
そうすれば みんなも、
いえにかえって
じぶんの木を うえるよ。

当園の子どもたちも帰り際に、「ぼくがうえた(つくった)んだよ」と言ったことでしょう。
そして、大きくなったらほんとうに自分の木を植えてくれるかもしれません、未来の地球のために。

今回のにじいろワークショップのテーマについて、あらためて松澤先生に伺いました。
「イタリアの美術家で、ブルーノ・ムナーリ(1907-1998年)というデザイナーや絵本作家としても活躍した方がいらして、その著書に『木をかこう』という絵本があります。
ただ単に木の描き方を指導する本ではないので、解釈の仕方も色々あって、子どももそうですがおとなにとっても深く考えさせられる本なんですね。

これをベースにワークショップができたらおもしろいかな、と考えてはいるのですが、実際にはかなり難しいので、それは私自身の宿題でもあります。
そんなことや、日常で体感する自然のことなどを漠然と考えていたら、平面ではなく立体的な木をつくろう、それもいつものホールを子どもたちのつくった木で埋めつくしたら、きっと新しい景色が目の前に広がるんじゃないか、ということで今回のテーマに至りました」
先生の発想は、いつもワンステップ、ツーステップと跳躍していくので、いつもわくわくさせてくれます。

さらに先生は話しをつづけて、
「具体的な指導ということでいえば、年中クラスの子どもたちは、なによりも今は技術的な成長を優先しているので、造形のおもしろさを感じながら折る、切る、貼るといった基本的な動作を確実に習得してもらいたいと思っています、それがまた来年につながっていくので。
年長クラスの子どもたちはそうした基本的な動作を習得してきたものとして、つぎに目指して欲しいのは作品がもつ物語性というものを意識した制作づくりということです。
言葉で示すと難しく聞こえますが、それはなにも難しい要求ではありません。
一過性のあそび感覚で楽しむことも大事ですが、せっかくワークショップという特別な時間を設けて参加するのですから、作品の背景に自分だけのもので良いので、なにかつくる意味を持ってもらえたらいいかな、ということです。
でもそういう意味でいえば、今回は誰もが木の物語を十分に意識してつくり上げたんじゃないかな。
1本、1本がほんとうに個性的で、オリジナル性に富んでいたし、どの子も自分のなかから感じたり、想像したりしたものをしっかりとかたちにしていましたからね。
だから自分だけの1本の木に愛おしさを持ち、自分だけの木の物語をそこに表現できたように思います」

 

余談ですが、今回のワークショップに参加して、〈芸術は、自然との対話である〉という言葉を思い出しました・・・誰の言葉だったかは忘れましたが(失礼)。

ドキュメンテーション

木を立てよう

ブルーノ・ムナーリの著書に『木をかこう』という本があります。
いつかこのワークをしたいと思っているのですが、ワークの構成が決められないままでいます。
そこで今回は、ホールに木を立ててはどうかと思いました。
一人一人の木がホールに全部で50本ほど立てることができたら、そこにはまた新しい景色が生まれそうです。

紙を立てる、切る、折る、そんな基本的な紙との向き合い方をしながら、ホールを夏の林のように感じられたら面白いなと思います。
木から生まれる、夏の林の物語を制作できたらと思います。

written by OSAMU TAKAYANAGI