いつもと違う場所で、普段できないことを堂々とやろう!
コロナ禍により、世界中が一変した三年間。
当然のことながら子どもたちの生活も変わり、たくさんの我慢を強いられた日々でした。
それがこの5月、新型コロナ感染症が〝5類感染症〟に置き換わり、ようやく長いトンネルの出口が見えたようです。
もちろん、この先のことは誰にもわからないですが、それでも大きなものをひとつ超えた、そう信じて前に歩き出してもいいんじゃないかって、そんな思いではじまった5月の「にじいろワークショップ」です。
そこで今回は、この三年間に溜め込んだ子どもたちの重い気持ちを、青空の下で春の新鮮な空気を感じながらおもいっきり発散できたらと思い、当ワークショップの松澤先生が特別に企画したプログラムです。
テーマは、『日常の生活ではなかなか許されないことだけど、それを堂々とやらせてあげたい!』
それを実施する場所として選んだのは、なんと車専用の駐車場です。
と言ってもご心配なく・・・当園に隣接した送迎用駐車場ですから、関係車両以外は入出できません。
では、その駐車場でなにをするのか?ということですが、その広い敷地すべて(全面)をキャンバスにして、子どもたちに絵を描いてもらいます。
絵を描くというよりは〝らくがき〟あそびをする、という方がわかりやすいかもしれませんね。
ですから、絵を描くための画材(道具)も〝らくがき〟あそびにふさわしく、自然から採られた「ろう石(せき)」を主に使用します。
「ろう石」と聞いて、ある世代の方にはとても懐かしく思われることでしょう。
特に昭和世代の子どもなら一度は手にしたことのあるものですし、それを使ってアスファルトやコンクリートでできた道路や壁に〝らくがき〟あそびをしたものです。
しかしいまでは「ろう石」をご存知ない方が多いかと思いますので、簡単にその説明をしておきます。
「ろう石」とは、蝋のような光沢や感触を持った、半透明でやわらかい鉱物や岩石を指します。
今回使用するのは「石筆(せきひつ)」と称される、筆記用具のように細くきれいにカットされたもので、主に建設現場などにある鉄板やコンクリート面などに作業のための記号や文字を書き入れるときに使用するものです。
また同じく自然界の成分を含んだ「カラーチョーク」も用意したので、併せて使うことにしました。
ではさっそく、子どもたちと一緒に園の門を出て駐車場に向かいましょう。
対象の素材に触れることで、想像以上に深く大きな情報が得られる
気温はやや高めですが、天気はまずまず。
季節的にはちょうどいいころ合いかもしれませんが、そんなことをいちいち気にするのはおとなだけ。
子どもたちはいつもと違った環境、しかも青空の下というだけで解放感に満たされ、誰もが弾けるような笑顔ではしゃぎまわっていました。
まずは年中クラスの子どもたちですが、みんな揃ったところできちんと整列して先生へのごあいさつです。
子どもたちはここでなにがはじまるのか、そわそわ、わくわくと、なんだか落ち着かないようす。
先生はそんな子どもたちに大きな輪を描きながら広がるように促し、いつものウォーミングアップをはじめました。
心なしかそれさえもいつも以上にのびのびとしていて、とても楽し気に見えました。
子どもたちのからだも気持ちも十分にほぐれたところで、先生はその場に座り込むように言いました。
次に先生はゆっくりと地面に自分の両手のひらを押し当てて、
「みんなも地面に手をおいてごらん」と言いました。
子どもたちもそれに倣って地面に手のひらをつけました。
その瞬間、
「熱(ア)ちっ!」
「ほんとだ、あついぞ~」とみんなおどろきの声を上げました。
アスファルトでできた駐車場の地面は、朝からそそがれた太陽の陽射しで温度が高かったのです。
さらに先生は地面をゆっくりなでながら、
「この地面はたいらで、廊下みたいにつるつるしてるかな?」と聞きました。
すると子どもたちもいっせいに地面をなでてみて、
「たいらじゃないし、つるつるしてない!」
「ざらざらで、でこぼこだ」
と、見た目の予想に反していたのか、やはりおどろきの声で答えました。
子どもたちがいつも見ていた駐車場の地面は、きっと冷たくて、たいらでつるつるしているものと感じていたのでしょうね。そんな思い込みは、いっぺんに吹き飛びました。
先生はいつも、こう話しています。
「対象となる素材(今回は自然環境としての地面)を自分の手や足で直接触れること。
子どもたちには、つねにそうした皮膚感覚を大事に欲しい。
いまは触れたことがなくても映像や動画で簡単に見られるから、そのものが持つ感触さえもイメージや第三者の説明だけで決めつけてしまいがちです。
でも実際に触れてみると、温かい、冷たい、つるつる、でこぼこ、硬い、柔らかいなど、見た目とは違っているものです。
本来、そこから得られる情報は、頭で想像する以上に深くて大きいのです」
さて、いよいよお絵描き、いえ、〝らくがき〟あそびの開始です。
先生は1本の「ろう石」を取り出して、地面に絵を描きはじめました。
「石の棒なのに、こんな地面に白い線が描ける!?」
そんな心の声が聞こえてきそうなほど、子どもたちは不思議なものを見るようにじっと見つめていました。
突然ひとりの子どもが言いました。
「先生、こんなところで〝らくがき〟してもいいの?」と。
先生はすぐさま笑顔で答えます。
「そう、ほんとはここでこんなことしちゃダメだよね。でも今日は特別だから、いいんだよ!
この駐車場いっぱいに〝らくがき〟してね」
先生と保育士が子どもたち一人ひとりに「ろう石」を配りました。
最初はどの子も初めて手にするその画材(道具)に戸惑っているようでしたが、一度使い出すとあっという間に上手に使いこなします。
子どもたちのすばらしさは、おとなのように周囲を気にしたり遠慮や躊躇することがなく、自ら積極的に実践していくところです。これは、おとなも見習うべき点ですね。
もはや駐車場という名の、にじいろW.S.専用〈アート〉スペース
子どもたちにとって、これほど広くて大きなキャンバスに絵を描くのは初めてです。
それは年中・年長クラス共にそうですし、おとなにしてもこのような経験を持っているひとはそうそう居ないと思います。
それでも子どもたちは臆することなく、どんどん敷地内(地面)のあちらこちらに描いていきます。
年中クラスの子どもたちは、点や丸、四角から描きはじめ、そのうちそれがなにかの形になり、さらにそれらが集まって大きなかたまりの絵になりました。
また一本の道のような絵から、それが二本の線に変わり、長くまっすぐに伸び、途中でカーブし、しまいには本物の電車が走っていきそうな線路になりました。
なかには地面だけでは飽きたらないのか、隣接する園と駐車場を隔てた壁にも描き出す子がいました。
それから、おもしろいことに気づいた子どもたちが、
「先生、地面よりここの方がすべすべしていて描きやすいよ!」
と大声でいうので行ってみると、なんと駐車場の各レーン内に設置されている車止めブロックのことでした。
確かに触ってみると手触りがよく、たいらですべすべになっているため「ろう石」の描き具合が地面に比べてなめらかでした。
どのように発見したのかはわかりませんが、これこそ実際に触れた感触から得た確かな気づきです。
しばらくして、色のある「カラーチョーク」も配りました。
「ろう石」だけの白線で描いたものに色を加えることで、その〝らくがき〟がまた別のものに見えてきます。
もちろん「カラーチョーク」だけで描き出すのもOKです。
年中クラスの子どもたちは、ワークショップの終わりに自分の手のひらを自慢げに見せてくれました。
どの子の手のひらも「ろう石」の白い粉や、「カラーチョーク」の色彩に染まっています。
地面の絵を消そうとしてこすったのでしょうか、それとも手のひらを地面につけながら次々と描いていったからでしょうか、いずれにしても夢中で描いた証です。
年長クラスの子どもたちには、もう先生からの細かな説明は不要です。
はじめに先生が「ろう石」の使い方について見本を見せると、子どもたちはその場で試し描きをはじめました。
あっという間に描き方を会得したようで、先生はすぐさま好きな場所で、すきな絵を描くように指示しました。
それから先は慣れたものです。
この広くて大きなキャンバスを自由に駆け回り、自分の描きたい場所を見つけ、仲良しの友だちと、またはひとりで描きはじめました。
さすがに年長クラスの子どもたちは、最初から形のあるものを描きます。
なので「カラーチョーク」も併せて配り、画材の選択肢をひろげました。
ひとつの場所で描き終えると、またその次の場所へと自ら移動していきます。
やはり隣接する園と駐車場を隔てた壁や車止めブロックにも目をつけたようです。
さらには駐車スペースを示す白ラインの上までびっしり絵で埋まっていきました。
それも具象的な形や抽象的な模様だったり、地面との色合いを考慮した色彩のおもしろみであったりと、そこに表現された〝らくがき〟は、全体で見ても、個々で見てもすでに〝らくがき〟とは言い難いものがたくさんありました。
いく人かの子どもが年中クラスの子どもたちの描き残していった線路をみつけ、さらにその線路を駐車場のいたるところに描き足していきました。俯瞰で見れば、まるで現実に存在する路線図のようです。
ワークショップの終わりが近づいたとき、子どもたちがひとつの提案をしてきました。
それは、地面に描かれたそれらの線路に沿って、みんなで電車ごっこのように走りたい、というものでした。
そこで、せっかく何本も線路があるのだから、先生も交えていくつかのグループに分かれ、それぞれのグループが描いた線路の出発点上に並び、号令と共にいっせいにスタートしよう、ということになりました。
先生の「よーい、出発!」のかけ声と共に、各線路の出発点にいたグループは同時に走りはじめました。
直進するグループがあれば、くねくねと曲がってばかりいるグループもあるし、線路が敷地の端まで行っていきなり線路が消えていたのか、あわてて引き返すもグループもあり、交差する線路上ではいくつかのグループが衝突する始末で、行ったり来たりの大騒動となりました。
それでも、どのグループの子どもたちもとびきりの笑顔で、時間いっぱい走り続けていました。
目的のない〝らくがき〟あそびから、目的をもった〝らくがき〟あそびに
わずかな時間でしたが、年中・年長クラス共に子どもたちのこの三年間の重い気持ちがおもいっきり吹き飛んでくれたらいいな、と思います。
最後になりましたが、企画・指導する松澤先生に今回のワークショップを振り返っていただきました。
まずは地面に描くということですが―
「地面への〝らくがき〟は、日常のお絵描きと違って、手先や腕ばかりではなくからだ全体の動きを使って痕
跡を残すという行為です。
幼少期の絵画はからだの動きそのものですから、情緒や知性といったものを盛り込むような表現ではなく、敢えて身をもって体感したものをそのまま素直に写し出して描くということに意味があります。
それも画用紙のような小さく区切られたスペースではなく、今回のような子どもたちにとっては限りなく広く大きなキャンバスに向かうという、それだけでも貴重な経験になったはずです」
具体的な成果などはありますか―
「直接手のひらや指で感じ取ったままの情報にからだ全体で反応し、それをいかに表現していくかというのはなかなか普段の生活ではできませんからね。今回はそれが実践できたことです。
はじめは対象とする地面によってガタガタしたり、ざらざらしたりと描きにくさを感じたはずです。
そのうちに子どもたち自身が、車止めブロックならスムーズに描けるということを発見しました。
これって、簡単なことのようで意外にすごいことです。
また、年長クラスの子が最後に線路を走ろう、と言いだしたことにも感心しています。
私や保育士に言われたものではなく、おそらく自分たちで描いた痕跡を見て思い浮かんだのでしょう。この発想を導き出したことがとても大きな成果ですし、重要なことです」
さらに先生は話しを続けて、こう締めくくりました。
「最初は目的などない〝らくがき〟あそびではじまりましたが、最後は子どもたち一人ひとりが目的をしっかりもった〝らくがき〟あそびに変化、成長していったこと。これは目に見えない、形には表れないことですが、確実にひとつの得難い成果だったといえるでしょう。
子どものうちは、はじめから〈アート〉として何らかの目的を持たせて学ばせても意味がないんじゃないか、むしろそのことを進めていくうちに自分なりに少しずつ目的を見つけたり、気づいたりしていく方が自然に〈アート〉を捉えることができるんじゃないか、そんなふうに考えています」
ドキュメンテーション
春の空気を感じて~らくがきあそび~
春の柔らかい風や、暖かい空気の色はどんなイメージかなと考えます。
ふわふわ、さわさわ、ポカポカをどんな風な色で表現できるかな。
少し特別なチョークやパステルを使って指や手で擦りながら描く面白さに触れたいと思います。
written by OSAMU TAKAYANAGI