〈アート〉も、子どもたち同様に日々変化し、成長していくものです
ちょうど昨年の4月、同テーマで「にじいろワークショップ」の新年度がはじまりました。
ですから、年長クラスに進級した子どもたちは2度目となります。
もちろん年中クラスの子どもたちにとっては、初めて体験するワークショップです。
同じテーマとはいえ、子どもたちが日々成長し、新しく変化していくように、今年度の「にじいろワークショップ」も、その内容や取り組み方などあらゆる面において新しく生まれ変わっています。
なぜなら、当ワークショップが扱う〈アート〉の世界もまた、日々変化し続けているからです。
昨年はまだコロナ禍の影響も大きく、日常生活も園での生活も思うようではありませんでした。
そんななかでも、子どもたちは毎回毎回持てる発想力と想像力を存分に発揮し、明るく、のびのびと〈アート〉に接してきました。
それはそれで、明らかにそのときにしか存在し得ない〈アート〉がそこにはあり、そのときの〈アート〉を全身全霊で体感してきました。
そう考えれば、今年度には、今年度にしか存在し得ない新たな〈アート〉があるはずです。
これからはじまる新しい一年。
どんなワークショップになるのか、どんな作品が生まれるのか、そして子どもたちがどんな体験をしていくのか、いまから大いに楽しみです。
インスタレーション( Installation )とは?
アートを展示する空間そのものをひとつの作品としてとらえることで、壁・床・天井まで含め、その空間に存在する全てのものが鑑賞の対象となるということを指した言葉です。
ワークショップに欠かせない「全身運動+笑い」から創作活動へ
「ウォーミングアップ」という言葉はもう誰もが知っていると思いますが、これって、なにもスポーツのためのものとはかぎりません。
なにごとをするにも、適度な準備運動は必要です。
からだをならすことで次の動作へスムーズに移れるし、そのことで精神的な緊張や不安を軽減することもできます。
とくに子どもたちが体現する〈アート〉系ワークショップにおいては、これがとても大切になります。
にじいろワークショップを企画・指導する松澤先生は、年中・年長クラス共に、毎回ワークショップのテーマ(本題)に入る前には必ずこの「ウォーミングアップ」を行います。
かといって過度な運動をするわけではなく、遊びながら手足や背筋を伸ばし、全身を軽く動かすことと、子どもたちが大はしゃぎするほどの笑いのツボを刺激します。
これを行うことで、子どもたちの緊張や不安が一気にほどけていきます。
ましてや初めてワークショップに臨む年中クラスの子どもたちには、もっとも有効なはじまりになります。
これは当ワークショップへの導入には欠かせない、先生ならではの〝全身運動+笑い〟による「ウォーミングアップ」です。
まずは年中クラスですが、先生は100個の紙コップが収まっている四角柱の細長いパッケージを数箱取り出して、子どもたちの前に差し出しました。
中身を知らない子どもたちは黙ってそれを見ています。
先生は、いつものように子どもたちの笑いを誘いながら、それをつみきのように立てたり、横にしたり、それからトンネルのようなものをつくって、子どもたちにくぐらせるなど、まさに「ウォーミングアップ」をはじめました。
次にパッケージの中から100個重なった紙コップを取り出し、そのまま煙突のように床に立てたり、手に持ってゆっさゆっさと揺らせてみせました。
ここでも子どもたちの笑いは途切れません。
続いて、その紙コップをひとつ、ふたつと床に並べ、子どもたちにその紙コップの上にさらに重ねて置くように指示しました。
子どもたちは順番に1個ずつ紙コップを積み上げて、いくつかの三角形の山をつくりました。
どこにでもある紙コップなのに、こうして積み上げることでかたちも大きさもみるみる変化していきます。
子どもたちはそのさまを不思議そうに、また面白そうに見つめています。
ワークショップ開始からわずかな時間で、子どもたちは今回のテーマ(本題)にすんなり入っていきました。
さて年長クラスの子どもたちはというと、今回は2度目ということもあり、先生はすぐさま紙コップを一人ひとりに渡して
「みんな覚えているかな、去年もやったよね?」
と問いかけました。
もちろんその返答は
「おぼえてる!」
「やったよ」
とホールに響きわたる大きな声。
どの子も紙コップを目の前にして、瞬時に昨年の記憶がよみがえったようです。
先生は「さすがに年長さん!」と言いながら、子どもたちに紙コップを配りはじめました。
こうして、年中・年長クラスの子どもたちはテーマ(本題)の創作活動に入っていきました。
おとなの感性などはるかに超えた、子どもたちが創造する世界
より高く、より大きく、より広く。
ときには保育士の手を借りながら、年中・年長クラス共に子どもたちは紙コップを上手に積み重ねていきます。
ひとりで黙々と積み上げる子もいれば、お友だちとふたりで積み上げる子、もっと大勢の仲間で力を合わせてつくりあげる子どもたちもいて、ホール中がちょっとした工事現場のように見えてきます。
でもしばらくすると、紙コップが崩れ落ちる音があちらこちらで聞こえてきます。
それに合わせるように大きなため息や悲鳴にちかい声も聞こえてきます。
それでもまた子どもたちはつくりはじめます。
そのたびに次々と新しいかたちが生まれていきます。
時間が経つにつれて、崩れる音やため息や悲鳴の回数が増えてきますが、それが徐々に笑い声や、元気のいいかけ声に代わっていきました。
ひとつひとつは紙コップという小さな素材ですが、時間をかけて積み重ねていくうちに、それは長く続く壁になったり、自分の背たけをはるかに超えるタワーになったり、そこに座れば自分だけの小部屋にもなり、それらをいくつかつなげて巨大なお城になったりとさまざまなかたちになって現れていきます。
そればかりか、真っ白な紙コップであるのに、出来上がったそれらはそれぞれに色とりどりの色彩や模様まで見えてきます。
強いていえば、ホールに差し込む太陽の光がそれらに陰影を与えてはいますが、つくられた壁にはレンガ色が施され、タワーには鋼鉄の銀色が光輝き、小部屋にはカラフルな水玉模様の色彩が映り、お城には重厚な土壁さえ存在するかのようです。
筆者のような者でもそう感じさせるのですから、おそらく子どもたちの目にはもっと豊かな色彩や美しいデザインが見えているに違いありません。
いや、それどころか、そういうおとなの鈍い感性などをはるかに超えた、まったく別の世界を構築した感覚を体感しているように思えます。
いつもの素材への新たな気づきと、白であるがゆえに視えてくる色彩やデザイン
この真っ白で、ごく普通にある紙コップを素材としている理由を先生に尋ねました。
「もっともシンプルなかたちであり、日常のどこにでもあるものだけど、それがふたつ、みっつと増えていくとまったく新しい景色に見えてくる、かたちになる、そういうことに気づかせてくれる素材としては最適です」
という答えが返ってきました。そして
「コップは水を飲むものという、誰もが理解している当たり前の概念も、ちょっと視る角度や考え方を変えるとこんなことにもなるんだ、という驚きや発見にもつながるでしょ」
先生はこの小さな紙コップひとつから得るものは、想像以上に大きいといいます。
また、真っ白であることの必然性を
「これに色や柄があったら、それに引っ張られてイメージが固定されてしまう。青なら空や海、緑と茶色なら
森や山、ピンクや赤ならきっと女の子しか選ばない・・・それって、つまらない。
だから、そんな概念にとらわれない真っ白こそ、そこに個人個人でさまざまな色彩やかたちを想像することができる、ってことです」
そう話してくれました。
ワークショップも終了に近づくと、年中クラスのなかには、崩れて紙コップが豪快に飛び散るさまに興味を抱いたのか、わざわざ積み上げて完成させた紙コップの山を思いっきり押し倒して大喜びする子どもたちの姿も見えました。
また、最初に紙コップ(100個)を入れていた細長い空箱を何本も集めてきて、それを電車や車に見立てて遊ぶ子どもたちも。
それはそれで、きっと、その子どもたちにしか見えない世界があきらかにそこに存在していて、そのなかを自由に飛びまわっているのでしょう。
年長クラスの子どもたちは、最期に昨年の年長クラスでも行ったように、たくさんの紙コップを重ねて一本のロープ状にして、その端と端をつないで大きな輪をつくります。
そして、そのロープ状になった紙コップの輪を囲むように子どもたち、保育士、それから先生も交えて等間隔に並んで座り、各自の目の前にあるロープ状になった部分をやさしくつかみます。
先生は子どもたちに「そおっと、やさしく手にもったら、ゆっくり、ゆっくり持ち上げるからね」と声をかけます。
子どもたちの無言のまなざしと、緊張した空気が伝わってきます。
先生はそれを確かめるように見回すと「さあ、上げるよ!」と号令をかけました。
それに合わせてみんながいっせいにゆっくりとその輪を持ち上げました。
先生と子どもたちの手によって、そのロープ状になった紙コップの輪は、そのままのかたちを保ちながら少しずつ床から離れていきます。
どこも接着などしていない、ただ重ねただけの紙コップでつくったロープ状の輪は、確かにその数秒間、宙に留まっていました。
その後、どこからともなくつなぎ目が外れて、紙コップはガラガラガラ~と大きな音を立てながらばらばらになって床へ落下していきました。
その瞬間、子どもたちはもちろん、先生も保育士たちも一斉に歓声と拍手でそれを讃え合いました。
これで、今年度最初の「にじいろワークショップ」は、さわやかな余韻を残したまま終了しました。
破壊と再生の繰り返し…それはつねに未来へ向かうこと
松澤先生は、今回のワークショップを振り返り
「紙コップはそこに重ねて置くだけなので、当然のことながらほんの少し触れただけでも、すぐにかたちは壊れてしまいます。
どれほど高く積み上げても、またはどれほどたくさん並べても、そのことに変わりはありません。
だから、完成を目指すには、何度でも〝壊れてはつくりなおす〟、時間の許す限りそれを繰り返すしかないんですね。
でも、この繰り返す行為こそが、このテーマでもっとも重要なことなんです」と話しました。
つまり、実は完成することが真の目的ではないということです。
先生は続けて
「たとえば、壊すことに抵抗のある子は、慎重になりすぎてなかなか作業が進まないんです。
また、繰り返す行為でも、壊れてしまうと元のかたちに戻す作業をはじめる子もいます。
いずれの子も、慎重さやまじめさにおいてはほめてあげたいし、それは必要なことですから否定はしません。
ただ、そういう子は、ほとんどはじめたときのままのかたちで止まっています。
〈アート〉系のワークショップにおいて、それはあまりほめられる行為とは言い難いんです。
止まっていることは、新しいことに向かっていこうという思いまで止めてしまいます。
それでは、チャレンジ精神みたいなものは育ってこない。
〈アート〉も生きものと同じで日々変化しているのですから、それに順応していくことが必要で、それは裏を返せば、自らも変化していくことが求められているということです。
まさに生きていくことと同じです」
さらに言葉を重ねて
「いわば、壊せないとか、壊れるのが怖いということは、その先へ進むことができないということ。
壊れるまたは壊すことにためらわず、何度でもトライする。
そのたびに新しい発想や技量の獲得ができ、まったく違う新しい景色が見えてくるはずです」
先生は、そういう体験こそがいまの子どもたちには重要なことだと説きます。
そして最後に先生は
「いまという時代は、つねに破壊と再生の繰り返しの上に未来を築いているようなもの。
だからこのワークショップは、〈アート〉を通じてそういうことも学ぶ場であって欲しいんです。
それは理屈ではなく、体感として」
そこまで言うと、笑顔でこう締めくくりました。
「だって、日々変化していくこれからの未来を、ほんとうに築いていくのはこの子たちだから!」
ドキュメンテーション
紙コップのインスタレーション
今回は紙コップ一つから始まります。
一つの小さなものでも、それが大量に集まると、大きく景色や空間を変えることが出来るのです。
紙コップが積み上がる、高くなる
しかし、一瞬にして崩れる緊張感も伴います。
構築から破壊へ
破壊があるからまた新しく生まれる
そんな隠れたメッセージも内包しているインスタレーションです。
written by OSAMU TAKAYANAGI